自分は傷ついた人間なんだ。傷つけられた人間であり被害者なんだと思えば思うほど、何かを正当化する理由が生まれ、その理由が増幅する。鼠算式?ドミノ倒し?みたいに。どんどん増幅し、同じ傷を持った人間同士が結びつき、仮想敵を見つけ、諸悪の根元は、親だ権力者だ男だ女だ政府だなどと手を替え品を替え正当化が続く。続いているように見える。

正当化、と書いたが、実際は正当化でもなんでもない。実際に傷ついた体験が個々人にはある。

だから正当化ではない。


でも。

そのドロっとしたものの浄化。それが今の活動の先にあるのか?という疑問がどうしても自分の中で消えない。人類はこれを繰り返してるんだ。

分断がダメだといいつつ分断に加担している。自分に目を向けていない間は、他人を容易に批判できる。これを書いていて苦しく、胸が痛いのは、どこか自分の欺瞞性、あるいは社会活動や政治活動、SDGsなどの活動をする人間の薄っぺらさ、欺瞞性に気付いているからだと思う。鏡のように。

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