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【五感を育てる 12】生活編2 不快を我慢するのは、なぜ?

こんにちは、まりこです。
自分の生きづらさをなんとかしたくて、
内面の癒しにあれこれ取り組んだ体験記を書いています。

日々の過ごし方を『思考優位』から、『体感覚重視』に切り替えてから、ようやく現実の変化を起こせるようになって来た私が、五感を育てるために実際に取り組んだことシリーズ、【生活編】その2です。

前回は、日常のシーンで感じる快・不快に、五感を総動員して気づいていく、という例をご紹介しました。

今日は、「不快を我慢してしまうのは、なぜ?」というお話をしたいと思います。

基礎編、生活編1では、出来るだけ不快を快に置き換える、という話をしていました。

では、五感のそれぞれの感覚で、不快を快に置き換え終わっているとしたら、普段の暮らしのほとんどのシーンは「快」で満たされているはずなのですが、いかがでしょうか?

「そうはいってもここは変えられないよ〜」
「そうはいっても相手に伝えるなんて無理だよ〜」
という事が多い場合は、まだまだ我慢してしまうシーンが多いかも知れませんね。

ではそもそも、なぜ「変えられない」「言えない」「我慢しちゃう」のでしょうか?
自分が心地よくなることをしようとしているのに、そこにストップがかかるのはなぜなのでしょうか。

理由を想像してみましょう。

その役割を果たす自分でなければいけない、という思いは無いでしょうか?

例えば、「子供たちのために、手作りのご飯ちゃんと作らなきゃ〜!」とか。
「旦那が帰ってくるまでに、掃除洗濯すませておかなきゃ〜!」とか。
いいお母さんやいい主婦でいることが自分のアイデンティティである時、その役割を降りることがなんだか落ち着かなくて、そこまでして心地いいことはしなくてもいいかな、と思っているパターン。

あるいは、知らず知らずのうちに「これくらいは出来て当たり前」というルールを自分に課してはいないでしょうか?

この、「出来て当たり前」は曲者です。自分で本当に「簡単にできるし苦ではない」と思っていたらいいのですが、案外、「本当は辞めたいけど、ふつうみんなこれくらいやってるし、わたしだって出来なきゃ恥ずかしい」と思っている場合があります。

実は上記の2つは、私がこの「快への置き換え」を始めたときに引っかかってしまった理由そのものです。

わたしは「パートナーにとって役に立っている」ことが存在意義であり、「パートナーが喜ぶであろうことをする私」であるからここにいられるのであり、それをしなくなった私は、価値がない、ここにいることが出来なくなる、と無意識に感じていたのです。

この無意識に感じていた、というのはつまり、自分でしっかり内観してみるまでは、分かっていなかった、ということです。

やろうと思う、やったほうが良いと頭では分かっているのに、気持ちがモヤモヤしてしまって、行動できない。
なーんとなく、「そこまではしなくていいかなー」と感じてしまう。という程度なのですが、体感覚に寄り添って深く内観していくと、「役割を果たせないわたしは、ここにいる意味がない」などの、けっこうシンドイ思いを持っている事があります。

これらは、自分が頭で考えている思考、いわゆる「顕在意識」と、ふだん思考で気づくことはほとんど無いのだけど、実は小さいころから自分が信じてきた観念や行動における信念などがいっぱいに詰まっている「潜在意識」との間に、ズレが生じているのです。

このズレが起きるとき、モヤモヤしたり、嫌な気持ちになったりしがちです。

改めて確認しますが、「幸福に生きる」というのは、「満たされて、いい気分で過ごしている状態」とわたしは定義しています。

いい気分で過ごしているとき、私たちは「ハートの声」や「いのちのこえ」に従って生きているので、満足感が高く、満たされて、幸福を感じる状態になります。

しかし、潜在意識と顕在意識にズレが起きてモヤモヤする、そのせいで、いい気分で過ごせないとするならば、私たちは何をすべきでしょうか?

答えを言ってしまうと、
「モヤモヤの原因になっている潜在意識の声をよく聞き、自分にとって好ましくない信念があれば、それを緩めたり書き換えたりする」ことが必要です。

何も、「好ましくない信念を消しましょう」という話ではありません。そんなことは出来ません。

何故ならば、その好ましくないと思われる信念にも、別の視点から見ると、必ず必要な意味があってそこに存在しているからです。言い換えればそれは、「過去、このやり方でうまく行きました」「過去のある時点ではこのやり方が安全だと判断しました」ということなのです。
ただ、「それはもう今とはそぐわないから、見直して更新しましょう」という話なのです。

どの信念も悪者ではないし、どんな感情も、なかった方が良かったものなんてひとつもない、ということは、頭の片隅に置いておいて下さい。

それを理解したうえで、自分の潜在意識のモヤモヤともゆっくり付き合いながら、「私は、本当はどうしたいかな?快を選びたいか、それともやめておくか?」と、丁寧に自分に聞いていく、選択していくと、より納得度の高い「快」への移行ができるのではないでしょうか。

今日のまとめ

・スムーズに「快」へ向かって行動できないときは、「顕在意識」と「潜在意識」の間でズレがあるから。
・どんな思い、信念、感情にも悪者や「なくていいもの」はなく、必ず理由があって存在している。
・快を選びたいかどうか、ゆっくり自分に確認する時間を取ってもいい

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