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エサをやらないでください

いま井上靖の『しろばんば』という小説を読んでいるんだけど、大正時代の小学生が主人公で、洪作という名前である。

この洪作がよくたべものをもらうのだ。知らない大人や親戚の人に出会うとかならずといっていいほど「洪ちゃ。これおたべ」という感じでたべものをもらう。でも「もらって喜んだ」という描写は一切ない。ほとんどの場合、洪作は迷惑している。

これにはぼくもおもいあたる。こどものころにおとなからよく「これおたべ」と言ってたべものをもらったがうれしかったことは一度もない。当時は好き嫌いが激しかったせいもあり、みしらぬおばさんからもらった物をそのまま口にはこぶとうことはありえなかった。迷惑でしかなかった。

しかしおとなはなにかというとこどもにものを食べさせたがる。そうすれば子供が喜ぶとおもっているのだろうがけっしてそんなことはないのだ。あれは、あげる側のたのしさが大部分である。

たべものにかぎらず人に物を上げるというのはよくよく考えないとめいわくになる。ただしぼく自身はなんでもホイホイもらってよろこんでいるほうなので説得力はないんだけど、人に物を上げるというのはよく考えてやらないとめいわくになるのである。

人だけではない。動物にエサをあげることもおなじだ。実家のまわりでも一時期ねこが大繁殖してこまったことがあった。近所に居酒屋がオープンし、そこのおかみさんがノラ猫に残飯をやっていたらあっというまに家の周りがネコだらけになった。

でもこないだひさしぶりにかえってみたらノラ猫の数は正常値にもどっていた。どうやら近所の人が申し入れておかみさんがエサをやるのを止めたらしいのである。ぼくの実感としては10分の1くらいに減っている。

えさをやるのはたしかにたのしい。でも去勢するわけでもなくただ無責任にエサをやるだけなら自分が楽しんでいるだけだ。エサをやっている光景自体はなんだか「いいことをやっている」みたいに見えてしまうが、いいことをやっているように見えて実はそうでもないというのはよくあることだ。

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