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勝負強さとは?
最近、勝負強さとはなにかということをわりによく考えている。
かんがえはじめたきっかけは、「若い人が投資に関心を持っている」というニュースを見たことにある。その映像に出てきた大学生の顔と言葉が
あまりに勝負弱そう
だったので勝手に心配してしまった。余計なお世話だけど・・
そこで、いろいろ考えた結果、最初に行きついた答えは、「勝負強い人は場数を踏んでいる」というものだった。
しかし、その後さらに考えを進めていって、結局のところ、勝負強い人は「よく考えている人だ」と思うようになったので、そのあたりのことを書いてみます。
さて、ぼくはそもそも勝負があまり好きではない。しのぎを削ったりするのは暑苦しくていけない。しかし、これは好みの問題にすぎないので、勝負ごとが好きな人はそれでおおいにけっこう。
そもそも、人生において勝負というのは避けられないのである。たとえ、「暑苦しい勝負を避けてのんびり」するためにも戦略は必要であり、「戦略」と言った時点で、すでに「戦(いくさ)」に巻き込まれている。
のんびりするためにも戦略が要るし、平和を達成しようとおもっても戦略がいる。戦わない人生というのは不可能である。誰かを負かしたいとか、勝利感を得たいとおもわなくても戦いは向こうからやってくる。
あらゆる人の置かれた環境は、太平洋に浮かんでいるヨットようなものだ。どこに行くにもひたすら順風を受けてたどりつくというわけにはいかない。動こうとおもわなくても嵐は向こうからやってくるので、沈まないようにするだけでも勝負強さがいる。
さてプロスポーツを観察していると、勝負強そうな雰囲気を出している選手というのは、大体実績のあるベテランである。
ぼくが今アタマに思い浮かべているのは西武ライオンズの栗山巧選手だけど、打席に入るだけで「かんたんには終わらない」という雰囲気をぷんぷんさせる。
でもよく考えたらまだ38歳なのである。しかし、古参兵みたいな雰囲気をかもしだしているのは、世間一般の人に比べて勝負の回数が多いからだとまずは考えた。
しかし、そもそも場数を踏めるのは、負けていないからなのだ。宮本武蔵が場数を踏んでいるのは、死ななかったからである。場数を踏んだから強くなったというより、勝負強いから場数を踏めているわけで、場数は本質ではない。
次に、落合博満さんの動画を見ていて思ったのだが、かれはものすごく考えている。練習量もひときわ多かったらしいけど、思考量は練習量を越えている感じがする。
何を聞いてもいくらでも考えが出てくるし、しかも他の誰ともちがうことを言う。たぶん、宮本武蔵もこんな感じだったのではないだろうか。考える量と質が並外れていたのではないか。
ところで、さきほど挙げた若者は
老後のことを考えて投資しようかなと思いました
と答えていた。彼がいま20歳だとすると老後は40年以上先なので、つまり2062年以後である。言い換えると、
西暦2062年先のことを考えて投資しています
と簡単に言っちゃっているわけで、そこがまず心細い。 ぼくは人に自慢できるほど勝負強くはないが、それでも
西暦2062年を予測して投資できれば、来年にはビル・ゲイツを越える
くらいのことはわかるので、たとえ頭で思っていたとしてもはずかしくて口に出せないだろう。かりにぼくが
なぜ投資セミナーに参加したのですか
と聞かれたら
道で10万円拾ったので、来てみました
などと答えると思う。 まともに答えていられないのでテキトーにはぐらかすけど、せっかく聞いてもらったのにむげにはできないので、こういう答えになってしまう。
とにかく、西暦2062年のことをさらっと口にしている時点で考えが足りない。若いから仕方ないとはいえ、明日からウォーレン・バフェットと勝負なのだからそのくらいのことは早めに気づいてほしい。
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