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森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983)

こないだ森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983)という映画を観てとても感心した。

なお、この映画を観るのは4回目である。初めて見たのはたぶん昭和の頃だったと思うが、あまり印象に残っていない。で・・・月日は流れてここ1年間にPrimeビデオで3回観ている。

最近、同じような意味で感心した作品がもう1本あって、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』だ。

どちらも当時から評判が良かったが、今見直すともっとおもしろい。どちらも基本的には楽しく笑える映画で、あまり小難しい解釈をしても意味はない。しかし作り手の意図とは無関係に未来を予見してしまっているような面があり、今見るといろいろ腑に落ちるのである。

『家族ゲーム』が作られたのは83年だからバブル崩壊はまだずっと先だった。しかし、 失われた20年のさまざまな要素がすでに描かれている。その後の日本におとずれる「豊かさボケ」みたいなものがずいぶんはっきりと描かれているのだ。

主人公は高校受験を控える茂之(しげゆき)という少年だが、彼の住む品川の高層マンションの全容が繰り返しどーんと映し出される。あの無機質感は当時は珍しいものだっだのだろう。

とはいえ今のタワマンに比べたらかわいいものだ。せいぜい10数階である。

だが、そのマンションが醸し出す無機質感はいまでは僕らの生活を隅々までおおっている。あれは、その始まりの時期だったのだというのがわかる。

ラストシーンではマンションの外で盛んにヘリコプターの音がしているのに、家族は惰眠をむさぼっている。

当時はなんとなく思わせぶりな演出でしかなかったのだろうが、いまの日本全体をおおっている雰囲気そのものだ。だれも現実を見ようとせずまどろんでいる感じ。

83年当時、ようやく姿を見せ始めた日本的な豊かさがやがてこの国をどう変えていくのか。みなが無表情になり、お互いの関係が繊細かつ疎遠になり、内にこもっていくのだということがわかる。

ぼくらがすでに経験済みのこうしたもろもろを「これから起こってくるんだよ」と笑いながらおしえてくれる。


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