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世界の果ての巨大な崖

世紀末の雰囲気

いま40代より上の人なら、1990年代の雰囲気をなんとなくおぼえているのではないだろうか。

ベルリンの壁が崩壊し、バブル経済も崩壊し、新興宗教ブームが起こった。

1995年には阪神・淡路大震災があり、翌年には地下鉄サリン事件が起こって、末世(まっせ)を感じさせるような出来事が続き、このぶんでは1999年7の月に

本当に恐怖の大王が来るのではないか

と思った人もいただろう。

簡単に言うと、師走(しわす)のデカいバージョンみたいな雰囲気があった。ぼく自身はノストラダムスのことは気にしてなかったけど、それでもなんとなーく世紀末へ向かっている感じはあった。

しかし、どうということもなく、2000年はやってきた。

その後、9.11があったり、イラク戦争が起こったり、リーマンショックが起こったり、東日本大震災が起こったり、コロナのパンデミックがあったので、いまふりかえれば、恐怖の大王は21世紀の初頭にやってきたといってもいい。

しかし、そのころにはすでに新世紀の幕が開いているので、それらは恐怖の大王ではなくて、あくまで「新世紀の大事件」でしかなかった。

終末論は雰囲気に過ぎない

結局、終末論ってのは雰囲気でしかない。

90年代の末には、今ほどの大事件はなかったけど、世紀末に近づいているような錯覚はむやみにあったわけで、師走と書いたけど、世の中がなにかに近づいていく感じは、お祭りの前夜に似ているともいえる。

でも、お祭りの場合は、かならず「祭りの後」がやってきて日常が返ってくるが、世紀末的な雰囲気はそこが違う。祭りの前と後でなにかが根本的に変わり、二度と戻らないように感じさせるのが終末論だ。

むかしむかし、地球は平らだと思われていて、海の向こうには大きな滝があり、そこを越えたら奈落の底に落ちていくのだと信じられていたそうだが、終末論の発想も似ている。

世紀末には、「世界の果ての巨大な崖」にじわじわと近づいているかのような雰囲気だったけど、実際には、世界の果てに崖などなくてひたすら海が続いていた。

気づいてみれば「後の祭り」

ただし、その翌年には世界貿易センタービルが崩壊し、その後もリーマンショックやらパンデミックやらあったわけで、あとで考えてみれば激震は走っているのである。

だいたい大きな変化ってのは、みんながいまかいまかと待ち構えているようなところでは起こらず、気づいてみれば「後の祭り」みたいになっていることがおおい。これまでもそうだったのだからこれからもそうなのだろう。

いま、パンデミックに戦争にインフレに気候変動と、なかなかいい材料がないし、あくまでぼくの感覚では、2020年代の後半から2030年代にかけて明るい展望はない。

かといって、崖が来るのかと思って待ち構えても、たぶんそんなものは来ないだろう。でも、数年経ってふりかえれば、

あれが崖だったのだ!

とわかる気がする。たとえば、日本経済は2021年に103円から113円になったあたりが今ふりかえれば崖で、いまから待ち構えてもすでに自由落下の最中だ。

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