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「ほめる」ってむずかしい・・

あなたも人をほめることがあるでしょう。ぼくもある。

どちらかといえば、わりによくほめるほうだと思う。べつに下心があるわけではなく、いいものをいいというのは、それが楽しいからやっている。

たとえば、大谷翔平選手をすごいと思った人は

大谷すごい!

というでしょう。それはそうすることが楽しいからやっているだけで下心も何もない。

ほめるにはまず「見る目」が必要だし、的確にほめるにも表現力がいる。つまり、やりがいのあることであり、悪口よりはクリエイティブで、そのうえで相手が喜んでくれればなおいいので、いいことばかりだ・・とおもいたいのだが実はけっこう難しい所もある。

ほめるってむずかしい

大学生の頃からよくあるパターンなんだけど、たとえばぼくがAさん、Bさん、Cさんと飲んでいたとしよう。

そのときぼくが話の流れでAさんのことを持ち上げると、BさんかCさんのどちらがが、後日になってAさんの悪口を言ってくる。

このパターンは本当によくあり、1000回くらいは経験している気がするけど、最近はコロナ禍で多くの人集まって飲むようなこともなかったので、しばらく忘れていた。

けど、集まってわいわいやるようになるとやっぱりそういうとは起こるんですよね。いくつになってもおなじことが起こる。

だからといってそれをやった人をけなすつもりはないですよ。他人が褒められたら自分が相対的に落とされたような気分になるのは、人の性(さが)ってやつだ。人の心を理解していない僕のほうが悪い。

自分はどうか

ただ僕自信がそういう心境になるかというとならない。かといって自信満々なわけでもなくて、あらかじめあきらめているのでそういう気分にならないのだろう。

たとえば意中の女性がいたといする。
その人がこっちの気持ちも知らないで目の前でジャニーズのアイドルを「かっこいい、かっこいい」とほめ始めた場合、ぼくがそのアイドルをけなしたり、対抗意識を燃やしたりするかというと、そういうことはやらない。

「ジャニーズに対抗意識を燃やしても無駄だ」とあらかじめ思っているので、ふんふん話を聞くだけである。

ジャニーズじゃなくて、有名な起業家であろうが、大富豪であろうが、ネットの有名人であろうがおなじだ。そもそも、かなうわけがないと思っているので、ムダなあがきはしない。

有名人ではなくて、目の前の一般人だとしてもおなじで、「ふんふんそりゃそうだなあ、かなわないなあ」と思って聞いているだけなのだが、自分がそうだからと言って他人もそうだと思い込んではいけない。

では、どうすればいいか

では、どうすればいいかというと、なかなかいい方法がないのである。

アカデミー賞授賞スピーチじゃないので、全員の名前をいちいち上げていって、均等にほめるみたいなことはできないし、そんなことをしたら疲れるだけでつまらないのである。あくまでそのときの流れの中で自然にほめられる人をほめるのがたのしい。

たとえば、ぼくの知人で思想家 兼 農業をやっているかなりすごい人がいるのだが、ここでは1回も持ち上げたことがない。

すごいと思っていないのではなくて、かなりすごいと思っているんだけど、その人を持ち上げる自然な流れがやってこないので後回しになっている。いずれなんとかするつもりだけど。

はなしをずらすけど、ここ1週間で見た映画

①マップトゥーザ・スターズ
②テネット
③オールド
④ヤン・シュヴァンクマイエル ファウスト
⑤善き人のためのソナタ
⑥永遠に美しく
⑦アヴェ・マリアのガンマン
⑧カリートの道
⑨ケイコ 目を澄まして

「お前はヒマ人か!」と言われた場合に備えて言い訳をしておくと、このうちの6つはアマゾンプライムで5月いっぱいで配信終了だったので、結構むりをして見た。

全部よかったのだが、noteで積極的にほめたのは、②の「テネット」と⑨の「ケイコ・・」だけである。でも、個人的に一番面白かったのは、⑦の「アヴェ・マリアのガンマン」というマカロニ西部劇だった。

でも、「ガンマン」をほめて1記事にできるような流れを思いつかないので、ほめてない。いつかイーストウッドの「荒野の用心棒」あたりを話題にしつつ、

イーストウッドのマカロニはニセモノで、本物はこれだ!

みたいな流れでほめてみたいものだけど、今はまだその流れがやってきていない。

人間をほめる時も同じで、口に出してほめている人だけをイイと思っているのではなくて、ほかの人もいろいろとイイと思っているのだが、口に出すチャンスが来ていないということをどうやって伝えればいいんだろうか。

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