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能力と魅力はちがう

お見合いというのはやったことがないのでじっさいのところはわからないんだけど、メディアを通じて見ているかぎりでは、「能力」で結婚相手を選んでいるように見える。そこは残念だなあと思う。

人を好きになるというのは、その人の魅力に気づくことだ。そして、魅力は能力とはまったくかんけいない。正反対のものだと言ってもいい。

顔がいい、アタマがいい、背が高い、収入がいい、いい大学を出ている。こういったのは能力である。人と比べて定義できるような特徴はぜんぶ能力だと思っていい。

「やさしい」だって「だれにでもやさしくて人当たりがいい」になってしまうと能力でしかなく、その人のほんとうの魅力を見えなくしてしまう。

一方、魅力はだれにでも備わっており、その人にしかない独特なものだ。どんな人でも素になれば魅力はかならずあるが、世間並みにしようとして自分をとりつくろうとみえなくなってしまう。

ところでギャップ萌えというのはいいものだけど、あれは相手の能力ばかりを見ているところに、ふと魅力を見せられて恋におちるのである。

ただし世の中には「魅力的に見せる能力」に長けた人がおり、近づいたらがっかりさせられることがある。こんな書き出しになってしまったけど、今日はそういう映画について書こうと思ったのである。

映画にも、魅力のある作品と能力のある作品がある。そしてやっかいなのは「魅力がありそうに見せる能力」に長けた映画だ。最近そういうのを見てがっかりした。

その日、ぼくは小津安二郎の『お茶漬の味』を見るか、ヒッチコックの『白い恐怖』を見るか、それとも○○監督の2020年最新作『○○○○。○○○○』を見るか悩んだ末に、『○○○○。○○○○』が能力値はいちばん低そうだけど魅力はいちばんありそうだと思って見た。だが逆だった。

タイトルを上げると悪口になるので止めておくけど、わりと知られた日本の映画監督で受賞歴などもある人の作品だ。タイトルもしゃれており、俳優陣も名優ぞろい。ただしスターは出ていない。渋いわき役や性格俳優として何十年も活躍している重鎮がぞろぞろ出ている。そして場末のバーでジャズが流れてじつに「魅力」を感じやすい仕上がりになっている。

べつに悪い作品ではないし、おもしろいともいえるんだけどいまいちグッとこないというか、「こういうのをおもしろいと思っているんでしょ」と言われている感じがする。

そこで思いなおして小津安二郎の『お茶漬の味』を見てみたら、これはもうぜったいに死ぬまでにあなたが一度は見ておかなければならない作品だとわかった。

こういう作品は名作と呼ばれて、能力値で語られやすい。そして、能力を見せつけられてもおもしろくないと感じる人たちから敬遠されることも多い。

そんなのにくらべたら『13日の金曜日PART6/ジェイソンは生きていた!』の方が、能力はゼロだけどよっぽど魅力があるというふうにぼくなどもおもいがちだ。

しかし『お茶漬の味』は能力値の作品ではなかった。夫婦のさりげない魅力をみせる魅力たっぷりの作品だった。

主人公の中年夫婦(佐分利信/小暮実千代)はお見合い結婚であまりうまくいっていない。ハデ好きで遊び好きな奥様と、実直一方のエンジニアの旦那様ではそりが合わない。

でも大ケンカした挙句に深夜に二人でお茶漬を食べていて「おたがいの魅力とはこのお茶漬の味のような気安いものなんだ」ということに気づいて結婚以来はじめてラブラブになる、という話だ。

魅力とはその人独自のもので、利益率や効率性などとは関係ない。まったく役に立たないものであり、そしてかげがえのないものだ。二人はお茶漬を食べながらそのことに気づく。

こういう魅力たっぷりな作品なんだけど、いまでは「巨匠の名作」という額縁に入れられて、お茶づけのようなさりげない味わいが伝わりにくくなっているのは残念なことだ。

このnoteも能力はないけど魅力のあるものでありたい。あなたはいまシェークスピアを読むこともできるし、夏目漱石を読むこともできる。だけど、それをしないでこれを読んでくれている。そういう人に「役に立たないけどよかった」と思ってもらいたい。そのためにはウソをつかず恰好をつけず、自分のままでいるしかない。

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