映画『サン ロレンツォの夜』から虐殺を考える
タヴィアーニ兄弟の映画『サン ロレンツォの夜』(1982)というのを見た。
有名な作品なので知っている人も多いだろう。タヴィアーニ兄弟の作品は、ストリーミングやレンタルでは見られないので、ぼくも最近DVDを見つけてようやく見れた。
同監督の『カオス・シチリア物語』(84)にいたっては観たいと思ってウン十年だ。まだに見ていない。
そういうわけで、ようやく見た『サン ロレンツォの夜』なんだけど、こういう筋書きである。
当時のイタリアでは、ナチスドイツ軍が、アメリカ・イギリスの連合軍に攻め立てられていた。
主人公の住む村からもドイツ軍が撤退するにあたって村を破壊していったわけだけど、爆破に先立ちドイツ軍から村人にお触れが出たのである。
「爆破されたくないものは教会に集まれ」と。
それで、すなおに教会に集まった村人は虐殺されてしまい、逃げた村人たちがナチスやファシスト党に追われて逃げ回った。その様子が描かれている。
タヴィアーニ兄弟の実体験に基づいている話なのだそうで、歴史では「サンタンナの虐殺」と呼ばれる。
当時のイタリアでは、市民が反ナチスのパルチザンとして活動していたので、劣勢のドイツ軍が「パルチザン掃討」という名目で虐殺したとされている。
似たようなことはベトナム戦争でもあった。「ソンミ村虐殺事件」だ。アメリカ軍の1小隊が、ソンミ村の村民500人あまりを無差別射撃で殺害したわけだが、状況がかなり似ている。
裏でベトコンに協力するベトナム人に業を煮やしたアメリカ軍が、ソンミ村を「反体制の村」と誤解して掃討したらしい。
旧日本軍の南京事件についても、似たようなことだったのだろうと推測されている。正確な人数は中国政府の主張とはだいぶ違うんだろうけど、いずれにしろ「民間人にまぎれこんだ敗残兵・便衣兵の組織的殺害」が民間人におよんだのだという見方が一般的だ。
そう考えてみると、共通する構造があるのがわかる。
いずれも
・支配にてこずった軍が
・敵側に協力した民間人を
虐殺したとみられる。
「アメリカ軍だから虐殺しない」とか「ナチスだから虐殺する」とかいう単純な善悪の構図は当てはまらない。
アメリカ軍はイタリアでは攻め上がる側だったのでやっていないけど、ベトナムでは苦戦したので民間人もまとめて虐殺してしまった。
さて、マウリポリの虐殺はどうなのだろう。以上の構図を当てはめるなら、以下の2つのうちのどちらかしかない。
・ロシア軍が、その支配地域で、
・ウクライナに通じた住民を
処刑したのか。
それとも
・ウクライナ軍が、その支配地域で、
・ロシアに通じた住民を
処刑したのか。どちらかである。
「劣勢に立っている軍が、民間のスパイを摘発しようとしてやりすぎた」のだろう。正義の軍と悪の軍などというのは、小学生の頭の中と「スターウォーズ」にしか存在しないので、上のいずれかだ。