ブラック企業の奴隷時代に最もツラかった「3つの喪失体験」

NEET株式会社 3期 取締役の ゆるい学長です。
突然ですが、今回は私の過去の一部分についてお話をさせていただきます。

私はTwitter内やNEET株式会社(以下、略してニー株)社内の人と会ったりするとよくブラック企業問題労働法について言及することが多くあります。
この点は、普段から接点のあるニー株メンバーやTwitterのフォロワーの皆さん方は既にご存知かもしれませんね。

実は、よくそういった話をするのには深い理由があります。
それは、これからお伝えする3つの喪失体験が大いに関係しています。
この三大喪失体験がなければ、今私はこうやって労働法を学んでそれを世に啓発する活動などしていなかったことでしょう。

実は、私は元 ブラック企業の奴隷です。
私がブラック企業に属して働いていた頃は、長時間労働や寝不足が慢性化したり上司のパワハラ発言に傷ついたりして肉体的にも精神的にもツラかったです。

そこまでの話なら、ブラック企業では起こり得る典型的なことであり、ブラック企業を退職した後の精神的な回復もまだ早かったかもしれません。
しかし、ブラックな職場内でのツラさにとどまらず、ブラック企業で働き続けてしまったことによってプライベートにまで最悪な影響が出てしまったことが一番の致命傷となりました。

これにより、私が何とかブラック企業から退職した後も1年半〜2年くらいの長期間にわたり、慢性的な無気力状態や極端なネガティブ思考が続いてしまいました。退職できてもその後の精神的な回復が非常に遅くなったというわけです。

ちょっと重い話になってしまうと思われますが、何かしらの形でこの記事をお読みくださっている皆さんには私と同じくツラい経験をしてほしくないので、最後まで私が伝えたいメッセージにお付き合いいただけましたら幸いです。

ブラック企業の奴隷だった時代に経験した出来事の中で、私にとって最もダメージが大きかったことが3つあります。


1. 友人・知人と疎遠になり、信用すら失った
2. 成長途上の個人事業でのチャンスを逃した
3. 親しい関係だった親戚の葬儀に行けなかった



この3つの出来事は、長時間労働の肉体的なツラさや上司のパワハラ発言よりも精神的に強く追い詰められた出来事でした。

ここからは、上記の1〜3番までのことを順番に詳しくお話ししていきます。


- - - - - - - - - - - - -


【 1. 友人・知人と疎遠になり、信用すら失った 】

ブラック企業で働いていた当時、これまでに交流のあった友人・知人から「今週末、久しぶりに一緒に飲みに行かない?」「来週、上京するから久々に一緒に遊ぼうよ!」「忘年会やるから来て!」などなど、突発的に遊びの誘いや連絡がしばしば来ていました。

しかし、私はいつ休みが取れるか全くわからない状態でした。
当時は職場が深刻な人手不足だったので私1人のワンオペ状態。私が休んでも代理スタッフがいない状況でした。1週間のうち1日たりとも休みがない週もありました。

そんな過酷な状況でしたので、友人たちからの遊びの誘いは泣く泣く断るしかありませんでした・・・。そんな状況が数回繰り返されていくうちに、いずれは誘いすら来なくなりました。これは非常に孤独でしたし、友人を失ってしまったような気持ちになりました。

遊びの誘いが来なくなってしまっただけならまだよかったのですが、友人の信用すら失ってしまった出来事もあります。こっちのほうがかなりキツかった・・・。

ブラック企業で働き詰めていたある日、久しぶりに連絡をもらった音楽仲間から「野外イベントで一緒にステージに立ちたい。バンドで演奏をやるからピアノを弾いてくれないか?」という依頼がありました。

私は当時、休みなく働き詰めていたので体力は限界に近かったのですが、孤独に苛まれている最中に久しぶりに仲間からの連絡が入って「みんなに会いたい!」という気持ちが猛烈に募ってしまい、体力的にも無理なはずなのにその依頼を受けてしまいました。今、冷静になって改めて振り返ってみると、この時点で疲労が蓄積しすぎて判断能力が相当鈍っていたものと思われます。ちょっと身の回りの状況を考えてみれば無理だとわかることだったはずなのに・・・。その誘ってくれた仲間にも事情を説明して「またの機会に誘ってね!」などと代替案を出したりして丁重に断れば波風立つことすらなかったはず。「なぜあの時、体力的にかなり厳しい状況だったのに無理して依頼を引き受けてしまったんだろうか?」と、未だに疑問に思うことすらあります。

その仲間に誘われた野外イベント当日は、私にとっては何連勤もした後でやっと巡ってきた休日に当たる日でした。しかし、ここで仲間たちとの関係に亀裂が入るトラブルが起きます。

野外イベント当日の朝。
私は前日までの長い連勤で疲れすぎて、死んだようにず〜っと眠り続けていました。昼が過ぎても、私は意識を無くしたようにず〜っとひたすら眠り続けていました。たしかその時は12時間くらいぶっ通しで寝てました。そして、目が覚めた頃にはもう演奏ステージが始まる15分前とかそんな状況でした。

「今から会場に行っても絶対に間に合うはずがない・・・!」

そして、私のケータイには一緒にステージに立つはずだった仲間からの着信や留守番メッセージが何件もきていた・・・

これは大ショック・・・

今すぐ会場まで行こうかとも衝動的に思った。
でも、なぜか体が重い・・・体が動かない・・・!
たくさん寝まくったはずなのに・・・
久しぶりに仲間に会えるこの日を待ち望んでいたはずなのに・・・!!

さすがにこれは仲間に悪いことをしたと猛反省し、その日のうちに謝罪の連絡をした。しかし、返事は冷たく返されて終わり。
まあ、自業自得ですよね・・・。
自分は体力的に無理な状況なのに、それでも無理に依頼を引き受けてしくじったわけだから。

この日を境に、その仲間たちから連絡が来ることは一切なくなりました。

私はこうしてまた友人を失い、私という人間の信用すら失ってしまいました。



【 2. 成長途上の個人事業でのチャンスを逃した 】

ブラック企業の奴隷だった時代に最もツラかった三大喪失体験の2つ目です。

今でこそ私は「元 ブラック企業の奴隷でした」なんて公言していますが、実はその職場が最初からブラックな労働環境だったわけではありません。

当時の私は、音楽制作業の駆け出し個人事業主でもありました。その個人事業用のまとまった資金を稼ぐため、当分はバイトしてせっせと働いていました。幸いにも高時給の仕事だったので、週3〜4日の労働でも毎月の生活費に加え、個人事業の資金に回す分まで余裕で稼げていました。

当時はバイトの身分でありながら、時間もお金もリッチで理想的な生活スタイルでした。週の半分は生活費と事業資金のためにバイトをし、残りの週の半分は音楽制作業に取り組む。こんな理想的な余裕のある生活スタイルだったので、駆け出しで事業を初めて半年後には個人事業主として初めて報酬もらえてスタートは好調でした。

しかし、その直後くらいに突如としてバイト先がブラック企業化してします。運が悪く色々な要因が重なった挙句、職場が一気に人手不足に陥りました。

職場がいきなり人手不足になってからはほぼ毎日私1人のワンオペ状態になりました。週6日以上働かされる週も多くて休日も自由に取れなくなったため、当然ながら個人事業の活動に充てられる時間が一気になくなりました。

そんな状況下でも全く空気を読んでくれないような勢いで、私のもとには個人事業での次なる仕事の話が舞い込んで来たのでした。

現状、ブラック企業の奴隷となって働いているのに個人事業にも並行して関わることはほぼ不可能だと思いました。でも、一度チャンスを逃したらもう二度と同じチャンスは巡って来ないかもしれない。駆け出しの時期はとにかくやって来たチャンスには乗っかっていかなければ。そもそも、私が将来的に本業としたいのはバイトなんかではなく、個人事業のほうだ。ここでチャンスを逃してどうする!?・・・といった、そんな思いが強くありました。

どんなに今がツラい状況でも個人事業主として2つ目の実績を得たい。そうした一心で案件に応募したところ、
「あなた様は、今回の案件につきまして最終選考まで進んだ3人のうちの1人に選ばれました。最終採用者1名を決めるための面接を行いたいので、ご都合のよろしい日時を相談させてください」
との通知が届きました。

「これは・・・絶対にチャンスを逃してはいけない・・・!!」

最終選考面接日の前日は、相変わらずの連勤最終日だったのでクタクタになって仕事から帰り、疲労は最高潮。それに加え、非常に緊張しながら眠りにつきました。翌日の最終面接には絶対に遅刻しないように、と自分に何度も言い聞かせながら・・・。

しかし、ここでもまた大きな失態がありました・・・

なんと! 友人の信用を失った時と同じように過労で長く眠りすぎてしまい、最終面接が始まった時間の直後に目が覚めました。


「すべてが・・・終わった・・・」


これは本当〜に絶望しました・・・。

案の定、私のケータイには面接担当者からの着信と留守番メッセージが残っていました。これはもう・・・当然ですよね・・・。約束の時間になっても本人が現れなかったわけですから。すぐさま担当者に謝罪の電話をするも一向に出なかった・・・。

こうして私は、個人事業での仕事のチャンスを逃しました。

もしも過労でなく健全な状態で寝起きして面接まで行けてたら、最後の1人に選ばれていたかもしれないのに・・・。
もし、最後の1人に選ばれなくても、せめて面接に行って案件に対する思いを熱くアピールして帰ってきたかった。それさえできれば、今に至るまで後悔することはなかったはず。

このチャンスを逃して以来、個人事業は停滞し、むこう1.5年くらい先までは実質活動休止となってしまったのでした。

本業にしていきたい個人事業の仕事が、ブラック労働のせいで疎かになってしまいました。そして、叶えたい目標から遠ざかってしまった・・・


「もう自分、何のために生きてるんだろう・・・?」
「このまま過労で死んでいくんだろうか・・・」
「本業にしたい分野でチャンスを逃すなんて、自分はクズすぎる」
「自分がこうしている間にもライバル達は成功をおさめている。最高に悔しい・・・悔しいけど今の自分には何もできない・・・」
「自分、生きてる価値ない・・・?」

個人事業でのチャンスを逃したことにより、私は底なし沼に落ちたようにどんどんネガティブ思考になっていきました。過労や溜まりすぎたストレスも相まってそのような思考になったのかもしれません。

ブラック企業の奴隷だった当時は、7〜10連勤などの長い連勤が続いた翌日の休業日には異常なくらいに長く眠りすぎてしまい、たとえ人との約束や大事な用事があっても体が重くて思うように動かず、外出が困難でした。一番長く寝すぎた時で1日17〜18時間くらい眠り続けていたこともありました。仕事がある日は1日2〜5時間くらいしか寝れないのに、久しぶりの休みになるとこれだけ異常なほどに長く寝てしまうのでした。

それでも疲れは一切とれなかった
ので、今考えると私の体がかなり危険な状態だったんだろうと思います。この時期に、仕事の朝礼で突然、意識が飛んで倒れたことも1回ありました・・・。



【 3. 親しい関係だった親戚の葬儀に行けなかった



ブラック企業の奴隷だった時代に最もツラかった三大喪失体験の最後3つ目がこちら。

この出来事のツラさはうまく言葉にできません・・・
ブラック企業の奴隷になっていると、家族・親族・友人・恋人など自分にとって大切な人の最期に立ち会えなくなるのです・・・

私がブラック企業の奴隷になっている間に、長年慕っていた叔父が亡くなりました。叔父の葬儀にすら行ける余地はありませんでした。

叔父の訃報は私の父から聞き、父からは「お前、叔父さん家から電車で行っても近いだろ?葬式に行ってこい!お前が小さい頃からずーっと大好きだった叔父さんだろ!?」と、遠方に住んでいる父に代わって私が叔父の葬式に出席するよう猛説得されました。私は叔父のことが大好きだったし私が小さい頃からとても可愛がってもらっていたので、父に説得されなくとも最初から叔父の葬儀に行く気持ちでいました。

しかし、当時の私はブラック企業の奴隷。
身内に突然の不幸があっても、仕事なんて休めるわけがない状態でした。
当時の職場環境は私1人のワンオペ状態だったので、休めるわけがなかったのです。度胸のある人ならここで平気でバックレたりもできるのでしょうが、当時の疲弊しまくった私にはそんな力はありませんでした。
もし、強行突破して1日バックレたとしても、翌日職場に出勤すれば上司からの説教の嵐に見舞われたことでしょう。「損害賠償を請求するぞ!」なんて脅迫されたかもしれません。私はそれを恐れてバックレができませんでした。

こうして私は、大好きだった叔父の葬儀に行けることなく、猛烈な後悔だけが残りました。

現在でも私はその時の失態を懺悔するつもりで、毎年秋のお彼岸にお供え物を持って叔父の家を訪ねています。亡くなった叔父が祀られている仏壇の前で「ごめんなさい・・・、ごめんなさい・・・」と何度も心の中で念じては涙が溢れます。交通費が賄えず叔父の家まで行けない年は、お供え物用の菓子を購入し、手紙を添えて叔父の家に送っています。


でも、それでも決して、
大好きだった叔父さんは戻って来ない・・・
何度も謝っても、二度と口を聞くことすらできない。


「もう二度と、ブラック企業では働かない。私にとって大切な人の危篤や葬儀にはぜっっったいに駆けつけできるように、たとえ貧乏でも今の自由な生活スタイルを死守したい。」


そう心に強く誓うこととなった出来事でした。

ブラック企業で働き続ければ、あなたにとって大切な人(家族、親族、友人、恋人など)の危篤や最期の儀式に立ち会えない可能性が大いにあるのです。

現にこの記事を書いている今でさえ、私の身近には危篤になる可能性が高い人がいます。その人は、私にとってはとても大切な人です。もし、その人に万が一のことがあったら絶対に駆けつけられるように、現在では仕事のスケジュールを詰め込まないようにしています。


- - - - - - - - - - - - -


【 最後に、この記事で伝えたかったこと 】


「ブラック企業からは、早く逃げて!!!」


この1言に尽きます・・・

私はブラック企業から早く逃げなかったが故に、そして、働く時に身を守る術としての労働法の知識がなかったが故に、今回お伝えした3つの大きな喪失体験をすることになったのです。友人からの信用、個人事業の出世チャンス、大切な人の最期に立ち会う機会・・・これらをすべて失いました。

この記事を最後まで読んでくださったみなさんが、私が経験したこのようなツラすぎる喪失体験をしないことを祈りつつ、私の重い口を開いて過去の喪失体験を今回この記事にてお伝えさせていただきました。

また、私自身、この喪失体験を長期間ずっと引きずってきたので、ここで一旦気持ちの整理をして前を向いていこうと思い立ったことも、この記事を書くのに強い動機になりました。


私はこれから、ブラック企業から脱出したい人たちや労働問題で困って人生が狂いそうな危機にある人たちに向けて、役に立つ労働法の知識をわかりやすく伝えていきたいです。もっと広く、たくさんの人たちに向けて労働法の啓発活動をしていこうと思います。

そのために今、さらに労働問題や労働法について学び、知見のある人たちの話も聞いてそれをアウトプットするようにコンテンツ化する。その企画も色々と案が浮かんでいるので、それらを具体的に形にしてみなさんに発信できるよう、今年1年活動していきます。



〜 最後まで記事をご覧いただき、ありがとうございました! 〜




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?