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ヤングケアラーで元宗教2世な私:幼少期

宗教の記憶で1番古いのは5歳の時。
小学校入学前でした。
気づいたら習っていない漢字がたくさん書かれた本と、長時間の正座、ひたすら目を瞑ったり、手を合わせたりな日々があり
記憶の始まりがそこだとするならば、それはもうわたしの生活の主軸でした。

母親は熱心な教徒であり、父親はそんな母親を見ても見なくても、アルコールに溺れてはモノに当たる、酒乱そのものでした。

断片的な記憶を引用するならば、誕生日ケーキを用意した机をひっくり返し、母親に暴力を振るい、それを見せられた後に荒れた部屋に正座で兄弟と一緒に並ばされ、意味不明な怒りを言葉で、音で、伝えられる日々でした。

おかげで成人してから数年までは
大きな物音が苦手であり、先生の怒鳴り声や雷で、情け無いですがお漏らしをしてしまうような体になっていました。

そんな家庭環境だったので、母親がのめり込んでしまったのは仕方のないことだったのかもしれません。
確かに宗教の方々はみな、穏やかであり、怒る人なんて殆どいませんでした。

わたしは怒鳴り声のない空間が嬉しくて、よく宗教がやっている修練場のような場所で眠ってしまっていたことは覚えています。

文字が書けると、祝言のようなものが読めるようになるとみんな自分のことのように喜んで、誉めてくれる優しい人が多かったです。

ただ、幼稚園が終わったらその修練場に殆ど通っていた為、なかなかお友達との思い出はありませんでした。

母親が入信したキッカケは、5歳くらいの時に当時やっていた会社が親族の不祥事で潰れてしまい、膨大な借金を抱えて父親が壊れたことが始まりだったと言います。
その頃の母親は30代前半、今のわたしと変わらないくらいの年齢でした。
どれだけの絶望を抱え、藁にもすがる思いできっと入信したのでしょう。

今のわたしには、理解できませんが。

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