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「産まれて来なければ良かった」の本当の意味

今月になって、5歳の末っ子が「こんなに〇〇なら、産まれて来たくなかった。」とポツリポツリと言うようになった。

「〇〇の部分」は、保育園で嫌な思いをしたこと、兄弟喧嘩をして勝てなかったこと、欲しいものが買ってもらえなかったことなど、彼女にとって不満なことが、いくつか並びました。

5歳の女の子の悩みだし、この程度の不満なら、大丈夫だろうと思っていたのですが、さすがに「産まれて来なければ良かった。」と言われると、大切な何かに気づいてあげられていないのでは?と心配になりました。

そして、今夜もお風呂に入りながら、彼女の不満を聞くことになりました。

今日は、2番目の娘とショッピングに行く約束をしていたので、末っ子の娘はお留守番でした。なので、「本当はお母さんと一緒にずーーーーーっと一緒にいたかったのに!!!」とご機嫌斜めでした。

私が「そんなにお母さんのことを大好きでいてくれてありがとうね。」というと、「ずーっと、ずーっと、お母さんにくっついていたいのに。だから産まれて来たくなかったんだよー。」

「ん?」

そうなんです、「産まれて来なければ良かった」の意味は、「毎日の生活が辛くて、生きたくない。」の意味ではなくて、「お母さんのおなかの中にずっといたかった。」の意味なのでした。

私は心配していたことが、解決してホッとしました。そして、こんなにまで私の事を好きでいてくれる娘が、ちょっと不思議で、本当にありがたいことだと思いました。

そして、1人目の長男を出産して、片言の言葉を話せるようになった時のことを、思い出しました。

いったい一日に「お母さん」と呼ばれたことでしょう。おもちゃを見せたくて「お母さん!」、トイレに行っただけでも「おかあさ~ん?」、寝る時も「お母さん♡」。間違いなく、一日に100回以上呼ばれたでしょう。

当たり前のことですが、そんなに毎日「お母さん、お母さん」と呼ばれたことはなかったので、私は本当にびっくりしたのと同時に、母になると、こんなことが起きるのだ!と衝撃を受けました。

「会社の仕事なら、自分が休んだりやめてしまっても、代わりがいる。でも、この子のお母さんはこの私しかいない。」「この『私』が求められている!!」のだと。

この時、「私にしかできない仕事」のやりがいと、「母の責任の重さを」をずっしりと感じたことを、14年経った今でも良く覚えています。

きっと、この時からでしょう。私が母として、全身全霊をかけて子育てをするようになったのは。

おかげさまで、子供たちは大きな病気もけがもなく、元気に育っています。まだ、疲れている時に、何度も抱っこをおねだりされたり、「お母さん、おしり拭いてー!」とトイレから大きな声で呼ばれたりすると、未だに「イラッ」としてしまうこともあります。

でも、3人も子供を授かったのには、何か意味がある気がします。未熟な私を鍛えるための試練とか?

思春期の2人と幼児1人。まだバタバタの毎日ですが、たまに温泉で息抜きをしながら、「子育てを楽しまなきゃもったいないよな。」って思います。


毎日のおうちごはんのことで困っている人を減らすために毎日頑張っています。今はYoutube撮影用の機材購入の資金に宛てさせて頂きたいと思っています。