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知らぬ間に寺で修行していた

整え屋です!
とか訳の分からない肩書きを名乗り始めて、家事代行を始めてみたりしていますが、私の整えルーツについて思い起こしてみた。

子供の時から家にまつわる事はかなり興味の高かったのだけど、その話は今回は置いておいて、そう言えば小学生の頃に入り浸っていたお寺について突然思い出した。

お寺の掃除…というエピソードを思い出したきっかけは某星の部屋での巨匠との話しにて。

地元の私が住む地域の人のためのお寺。住職と奥さんお二人で住まれていたと思う。(お兄ちゃんもいたけど多分家を既に出ていた)
何がきっかけわからないけど、放課後友人達と時々お邪魔して遊ばせてもらっていた。
住職の奥さんは、お子さんが息子さんだけだったからか私たち女の子が遊びに行くのを楽しみにしていてくれたようだった。
何をして遊んでたか細かい事は覚えてないけど、広い御本尊のある部屋で側転したりでんぐり返しして走り回った記憶がある。

本当にダメなことは止めてくれたので、ぎりぎり目を瞑って下さってたのかなと思う。

御本尊のある本殿で走り回った記憶と、はなれで大人しく遊んだり勉強を見てもらった事もあった。
私の中で一番面白かったのが、御本尊のお掃除。
長い廊下を友人と雑巾掛け競争したり、本尊の広い畳の部屋の掃除機をかけたり、桟を拭いたり。

御本尊周りは子供ながらに近づいてはいけない場所とわかっていたから、近づかず、基本的にはお参りに行った時に入る場所を掃除していた。

人生の中で一番楽しい掃除だったかも知れない。
掃除後の清々しさを今も思い出すことが出来る。

大人になって知ったことは、お寺での掃除は修行の一貫でもあるということ。掃き、拭き清める行為であること。

そんな気持ちいい体験をまだ小学生の頃にしていたんだなと、最近しみじみ感じている。

ちなみに、いい思い出っぽい話だけど、楽しかった掃除の話を家に帰って祖母にしたら、自分の家の掃除もせんとよその掃除して。という嫌味をもらったため、小さい私は傷ついたことも同時に思い出す。

多分その頃祖母は更年期障害だったのではと思うぐらい怒ってた。(今はすっかり穏やか)その辺の出来事は私の心の傷としてまだ残っているけど、徐々に自分で癒してあげたいと思っている。

思わぬ方に話が行ってしまったけど、そんな整え体験を今思い出せたのもタイミングなんだろうな。

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