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祝イタリアユーロ優勝号 15年の大嵐

前説

今回はイタリア代表のユーロ優勝を記念して、2006年からの足跡をたどってみたいと思う。カルチョが頂点に達していた2006年からイタリアサッカーがどのように苦しんで、どのように変化していったかが、映し出されている15年間の大嵐を楽しんで欲しい。

2006 頂点

結果 ワールドカップ優勝

2006年イタリア代表はワールドカップで4度目の優勝を果たした。90年代、00年代のセリエA、カルチョのパワーを終結させたようなチーム。

セリエA得点王の大型ポストマン、トーニ。セリエAを代表するファンタジスタ、トッティ。イタリア歴代屈指のレジスタ、ピルロ。ピルロを補完する男ガットゥーゾ。献身性あふれるカモラネージ、ペロッタ。ラッキーボーイとなった伝統的な攻撃的左サイドバック、グロッソ。安定感のザンブロッタ、お祭り男で足元が上手いマテラッツィ。そして、純粋なDFとして唯一、ディフェンス能力のみで選出させたバロンドーラー、ファビオ・カンナバーロ。スーパーマン、ブッフォン。

ベンチにもカルチョを代表するファンタジスタ、デルピエロ。得点の天才、インザーギ。早熟の得点王、ジラルディーノ。後のローマの象徴、デロッシ。

最後にCL、ワールドカップを制した名将リッピ。

カルチョの90年代、00年代を象徴するメンバーは、ドイツを圧倒的アウェーの中、破り、フランスとの死闘の末PK戦で優勝を達成した。

さらに06-07シーズンのCLでは名将アンチェロッティ率いるミランが優勝。ここでもピルロ、ガットゥーゾが輝き、ネスタ、マルディーニは鉄壁のディフェンスを見せていた。

おそらく、ここがセリエA、カルチョ全体の頂点だったと言えるだろう。

2008 風向きの変化

結果 ユーロベスト8敗退

名将リッピの後を継いだのは、ドナドーニだった。監督経験のないドナドーニの就任には首を傾げたが、リッピとは異なる路線を見せる。

トッティなどが代表引退を告げていく中、ドナドーニは悪童カッサーノを主役にチームを作り上げた。さらにリッピとは確執のあったパヌッチもレギュラーに抜擢。

リッピと異なり、監督経験がないドナドーニは、選手たちを分け隔てなく選出したことが特長だった。

結果、ユーロではPK戦の末、優勝したスペインに敗れてベスト8。試合内容としても、スペインに支配を許しながら、最後の最後は得点を許さないカテナチオを見せた。

しかし、ドナドーニは、解任されてしまう。GLではオランダ相手に0-3でいいところなく敗れるなど、試合内容をみると妥当な結果だったのかもしれない。ただ、GLではオランダ、フランス、ハンガリーと同組だったこともあり、GL突破を評価する声も一部にはあった。

2008ユーロでは、スペイン代表がイタリアを破った勢いのまま、ロシア、ドイツを破り優勝を成し遂げた。攻撃的なサッカーでは国際大会では勝てない、というような言説を打ち破る優勝。これは、今後の世界のサッカーへ大きな影響を与えていくことになる。

そんな中、アッズーリの監督にはリッピがまさかの復帰となった。

2010 復帰と地獄

2010年はかなり今後へ影響を与えた年だったため、詳細にワールドカップでのメンバーとスタメンを紹介する。

パラグアイ戦 1-1引分


ニュージーランド戦 1-1引分


スロバキア戦 2-3敗戦

結果 ワールドカップGL敗退

2010ワールドカップは、名将リッピであっても許されないGL敗退。イタリアは格下相手に、攻撃の糸口が見つからずに敗退となった。パラグアイ戦はコーナーキックからの得点、ニュージーランド戦では、PKによる得点のみとなり、攻撃の形自体が作れない。最終戦となったスロバキア戦は、ピルロが半ば強行出場し、ディナターレ、クアリアレッラ、ペペの活躍によって2得点したものの、信じられない守備のミスから3失点となった。

敗退の原因となったのはピルロが離脱していて、第3戦には間に合ったものの、そこまでに攻撃の形を作れなかったこと。

結局リッピのチームはピルロ抜きで攻撃を構築することができず、アタッカーも輝かずに大会をあとにする。

2009-2010CLでは、モウリーニョ率いるインテルがCLで優勝を果たしたものの、イタリア人選手が1人もスタメンにいなかった。また、セリエAを見ても、ユベントス、ミランの凋落ぶりが、この結果に大きく影響を及ぼしていた。

リッピは監督を辞し、魅力的なサッカーをする、という評価のもと、プランデッリが監督を引き継ぐことになる。

2012 タレント

結果 ユーロ準優勝

2012ユーロではイタリアサッカー界に若きタレントが登場した。マリオ・バロテッリ。アフリカ系イタリア人として、始めて代表で不動のエースの地位を獲得した選手。そのフィジカル、テクニックは、イタリア人選手の中でもずば抜けており、カルチョの将来を背負って立つ人材だった。

プランデッリは、中盤のクオリティ、タレントを重視して、ポゼッションスタイルのサッカーを披露した。さらにカッサーノがセリエAで復活したことも大きく代表チームに影響を与えた。

結果としてイタリア代表は、イングランド、ドイツを破り、決勝でスペインに圧倒されたものの、準優勝を成し遂げた。

特にイングランド、ドイツを共に内容で圧倒する攻撃的カルチョを披露できたことで、イタリアサッカーの隠れたポテンシャルを披露できた大会だった。

中心となったのは前線のバロテッリ、カッサーノと、それを支えた中盤の4枚だろう。ピルロは未だ欧州トップクラスの司令塔であることを見せつけ、デロッシはピルロを攻守に支え、マルキージオ、モントリーヴォは運動量とテクニックでリンクマンとして活躍した。

また、ボヌッチ、バルザーリ、キエッリーニらは、ユベントスで見せているようなビルドアップでのボール配給能力を披露。

プランデッリのサッカーは結果、内容ともに称賛されて、契約も継続となった。

2014 不運とタレントの限界

結果 ワールドカップGL敗退

プランデッリ監督は、ユーロのチームを引き継ぎつつ、チームのバランスを確保する方向へ。おそらく、ユーロでは攻撃的すぎて守備の部分をスペインにつかれたこと気にしてのことだったのだろう。

ただ、ワールドカップGLでは死の組、イングランド、ウルグアイ、コスタリカと同組に入った。

イタリアはイングランドには勝利したものの、コスタリカ、ウルグアイに敗れてGL敗退となった。

コスタリカ戦は相手の5バックに苦しみ、結果的にファーサイドへのクロスから得点を許して敗戦。

ウルグアイ戦でも、攻撃が機能したとは言い難く、さらに試合途中にマルキージオが1発退場し、ゲームオーバー。セットプレーからの失点もあって敗戦。

プランデッリが攻守のバランスをとろうとした結果、攻撃力を失ってしまい、GLでの敗退となった印象だった。また、バロテッリ、カッサーノらがコスタリカ、ウルグアイ相手に活躍できなかった点では、タレント力の限界を感じさせる敗退でもあった。

結果、プランデッリは解任され、代表監督にはセリエA屈指の名将コンテが就任することとなった。

このワールドカップではドイツ代表が、攻撃的なサッカーを披露して優勝。とくにプレッシング、ボール保持に優れたチームであり、バイエルンのメンバーを中心とした戦術面でまとまりのあるチームだった。

2016 諸刃の剣

結果 ベスト8敗退

ユベントスからイタリア代表監督へと招聘されたコンテ。コンテは強固な戦術を元にチームを作り上げる。クラブチームでも、代表チームでも、それは変わらなかった。

そのため、コンテはイタリア代表チームでも自身が指揮したユベントスのシステム、戦術を採用。チームメンバーも戦術に合う選手をセレクトした。

結果としてイタリア代表は、ベルギー代表にGLで快勝。決勝トーナメントベスト16でもスペイン代表を内容でも圧倒して勝利した。

ただ、コンテのイタリア代表は不運なことにヴェラッティ、デロッシらが大会中に離脱。徐々に勢いを弱めていって、ベスト8でドイツ相手にPK戦で敗退となった。

タレントだけ見ると、歴代のイタリア代表のなかでも下から数えたほうがいいチームだった。しかし、それをカバーするしっかりとした戦術をコンテが仕込んでいたからこそ、機能したチームでもあった。

ただ、この時期のコンテは親善試合でさまざまなシステムをテストし、引き分けや敗戦があった。その結果、FIFAランキングが下がり、次のワールドカップ予選はスペインと同組となってしまう。ただ、ランキング下降については、前回のワールドカップでの敗戦などの影響もあり、イタリアサッカー自体の問題だったとも言えるだろう。

コンテ自身は2年契約からの延長を拒否してチェルシー監督に就任。

ここで、協会側がコンテ監督を取り逃がしてしまったこと。次のワールドカップ予選までを見据えて、コンテ監督をマネージメントしなかったこと。これがカルチョ史に残る汚点を作り出してしまうこととなった。

2018 老将と歴史

結果 ワールドカップ予選敗退

コンテの後を引き継いだのはヴェントゥーラ監督だった。

ヴェントゥーラは中堅クラブを長年率いていた監督であり、好むシステムがコンテと同じ352だった。また、インモービレの得点王獲得時の恩師であり、ベロッティをトリノのエースに育てた智将として評価されていた。

ただ、ヴェントゥーラの戦術面での指導力は、コンテとはレベルが違う。ここが問題となり、予選ではスペイン相手に1分1敗。結果としてワールドカップ出場プレーオフへと回ることとなった。

プレーオフでイタリアは、スウェーデンと対戦。結果、0-1、0-0と得点を奪えずに敗戦となった。

ヴェントゥーラはジョルジーニョをプレーオフまで召集せず、ヴェラッティ、デロッシと前線インモービレ、ベロッティ頼みのサイドから放り込む戦術しか採用しなかった。中堅クラブの戦術としては、これはこれで正しいのかもしれないが、スペイン、スウェーデンには通用せず。

イタリア代表は60年ぶりにワールドカップを逃すこととなった。ヴェントゥーラ監督も、後ほど代表監督を引き受けるべきではなかったと後悔している。さらに、プレーオフを迎えるにあたってイタリア代表チームは監督抜きでのミーティングを実施していたと言われている。ヴェントゥーラ監督がイタリア代表選手たちの信頼をどれだけ確保できていたかは、かなり怪しい。

ただ、筆者としては、ヴェントゥーラを一方的に批判することは難しいと考えている。正直言って、スペイン代表と同組だったことは運が悪かったことと、前述したように親善試合をテストの場としてしか考えなかった前監督コンテにも責任がある。また、スウェーデン代表は常に強敵であり、今でもプレーオフで当たれば結果がどうなるかは怪しい。同じ状況でイタリア代表を引き受けてくれる監督がいなかったなか、受けてくれたヴェントゥーラの勇気はリスペクトしなければいけないだろう。

2020 歴史と積み重ね

結果 ユーロ優勝

今回のユーロでイタリア代表は53年ぶりに優勝。とくにGLから試合内容を絶賛されるカルチョを見せた。マンチーニが作り上げたチームの中でもベストチームだったと言える。

ボール保持、攻守の切り替え、プレッシング、横幅を広く使った攻撃、プランBとなった0トップ。まるでクラブチームを見ているような完成度のカルチョ。

このサッカー内容に関しては、長年イタリアサッカー協会が欧州サッカーを観察しながら、ポルトガルやスペインのような国から戦術を学び、それを年代別代表チームに反映させてきた結果だろう。

現在、イタリアサッカー協会は、ビシディという人物の元、代表チームのスカウティング方法から年代別代表のゲームモデル、どのような戦術でサッカーをするかの指標を統一している。その結果が今回のイタリア代表チームの完成度の高さの一助となった。

また、セリエAを見ても、かつてのように守備的なカルチョを捨てて、攻撃的なカルチョを実行するクラブが増加した。中堅規模のプロビンチャであってもアタランタ、サッスオーロ、ボローニャなどは、完成度の高いカルチョを見せている。それによりセリエAの闘いが変化し、それがイタリア代表チームにも大きな影響を与えている。

マンチーニ監督が独力で起こした革命ではなく、イタリアサッカー協会がトライアンドエラーを積み重ねながら、つかみ取った成功。また、セリエ各クラブが懸命に攻撃的な戦術を磨いたことの成果だったと言える。

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