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「差別」と「区別」の違いはなにか?


はじめに

これから述べる「差別」と「区別」の違いは、正解でも専門的なことでもありません。
ただ、HAKUNA(ハクナライブ)という配信アプリで出会った人たち10人くらいが、その配信内で語り合ってみたことの記録です。
なので、間違ったことや適切ではない表現があるかもしれないことをまずご了承ください。
また、配信内での発言は、個人が特定去れない形でインターネット上で共有することについて、あらかじめ許可をいただいています。
その都合で、筆者(=ゆーり=枠主)個人の思惑や感想以外は全て主語がありません。

語り合いする前のそれぞれの認識

差別
・あってはいけないもの
・定義がなく分けること
・感情や社会的地位などの人間の悪癖を目的としている
・理由なく蔑むこと
・主観的あるいは感情的なもの
・客観的と言いつつも主観が強い

区別
・必要なもの
・定義に当てはめて分けること
 →定義:独断と偏見
・形が決まっていないモノを振り分けるためのもの
・よくわからないモノを認知するための「名前をつけてわかるように」することを目的としている
 →これがないと言葉がなくなってしまう。あくまでただモノを分けているだけである
・平等に意見や考え方を分ける
・学問的に分けること
・価値や平等によって分けること
・ただ機械的に分けているだけ

その他
・似ているけど考え方や見方が別。目的が違う(目的に関しては上述)。
・差別の中に区別がある。
・本人(言葉の受取手)が差別だと思ったら差別

それぞれの認識を確認した上で話したこと

【今回扱う「区別」の対象について】
特に「区別」には様々な言葉の使い方があるということに気がつきました。
「形が決まっていないモノを振り分けるためのもの」や「よくわからないモノを認知するための『名前をつけてわかるように』することを目的としている」などは、「区別」という言葉の理解という点では、的を得ています。
しかし、今回あえて「差別」と「区別」を対比したことからもわかるように、今回の語り合いでは、人間を対象とした「区別」について扱っていくこととします。
*これを先に伝えることができなかったのは出題者のミスです。まじごめん🙇‍♀️


【「平等」という言葉について】
語り合いをする前の認識で何度か「平等」という言葉が使われました。しかもこの平等」って言葉を一定の人が何回も使っていたところが面白いですね。この「平等」の話を聞いた時に、ゆーりは「水平的公平」と「垂直的公平」の概念を思い出しました。しかし、この話を始めると夜が明けてしまうので、今回は「平等」についてはあまり触れないこととしました。

*水平的・垂直的公平についてはこちら*
https://kotobank.jp/word/垂直的公平-159709


[具体的な例]
ペットお断りのお店で全ての人に対してペットを連れて入店することを断ることは、平等である。しかし、盲導犬を連れている人に対しても盲導犬を連れて入ることを断ることはほとんどないだろう。果たしてこれは平等なのか、特別扱いなのか。みたいなこと。これを特別扱いでないとするならば(ゆーり的には合理的配慮だと思っています)、平等とはなんなのかよくわからなくなってしまいますね??

*合理的配慮についてはこちら*
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1297380.htm

【ここまでで分かったこと(共通認識)】
「差別」という言葉についてはある程度共通認識が取れました。主観的だったり、感情的だったり、とにかく客観的・学問的事実やそれに基づく理由がない分け隔てのようなモノらしいと言うことです。これを仮に差別の定義とするのであれば、これに当てはまる事象は差別であるとほとんどの場合、断言しても問題がないでしょう。ところが、これに当てはまらなければ必ず差別ではない(≒区別である)というわけではなさそうなのです。

ここで、そろそろ抽象的な話をしていても議論が限界になってきたので、具体的な事例を挙げて話してみることにしました。

差別か区別かよくわからない具体的な事例について

【主に中学校や高校の体育の授業が男女別で行われる事例】
大前提として、男女では体の作りが異なります。そもそも男女の括りで分けること自体が差別にあたるとの意見もあると思いますが、心の性や恋愛対象などの話ではなく身体の性で分けるということは、理にかなっているでしょう。ここで2つの疑問が生まれました。

・実際の授業では身体的な違いに配慮した授業が行われているのか
・確かに試合形式等では男女別で行う必要があるが、練習は男女混合でもできるのではないか(授業の全てを男女別で行う必要はないのではないか)

ということです。
私たちは教育関係の勉強をしている人がいるにしても、素人なので細かいことや法律のことなどはわかりませんが、
「身体的な違いに配慮するために男女別で授業をするのであれば、それは区別だよね」
という風にまとまりました。

これが、小学校では男女混合が多くて中高では男女別が多くて大学では男女混合が多いことについて触れると、男女の違いは成長と共に顕著になります。これについてどこで線を引くかというのは様々な意見があると思いますが、専門家でもなければ客観的データを持っていない私たちが議論するのは不可能に近いです。よって、安直に「学校種で区切ったのだろう」とだけ思っておくことにします。日本の学校種の制度については触れません。


ただし、これが差別になる場合もあります。
明らかに男女で扱われる種目等が異なり、それが先生の違いや指導の都合等ではなく男女を意識したあるいは潜在的意識からくる理由であった場合です。
具体的には、男子は武道を女子はダンスをみたいな事例です(学習指導要領の改定により、今はこの例はないと思いますが)。

今、まとめていて思いましたが、ゆーりの中学校では体育祭で男子は組体操、女子は扇子を持ってダンスをしていました。
あの時は何も思わなかったけど、これは差別になるかもしれませんね。
好きな方を選択できたらよかったのに🤔
そういえば中学校では男子は騎馬戦女子はタイヤ引きだったなぁ。
高校はみんな種目が一緒だけど男女一緒には戦わないって感じでした。
これは区別ですね?

この他にも、女性のキャリアアップ、産休育休生理休暇、障がい、セクハラ、いじめ、校則、トイレなどの事例についての話がありましたが、あまり深く掘り下げていないかつ、メモが少ないので割愛します。

【肌の色に関する事例】
ただ単に肌の色が違うということは区別でしょう(満場一致)。ただし、ここに価値観やマウントが入ってくると差別になります。
人種問題から少し離れた例を挙げます。

リンゴとナシは同じような形をしています。
ただこれらは別物だし、遺伝子的な違いもあります。
リンゴ、ナシと呼び分けることについては「区別」です。
同じモノとして扱うことはできません。ただし、これに対してナシがリンゴに「私の方が名前が短いから呼びやすい!」などとマウントをとったとしたら、それは「差別」なのでは?ということです。
(冷静になってこの例が果たして良いものなのかはわかんないけど)



これを人種に当てはめるならば、肌の色の違いは客観的な事実ですから区別でしょう。ただ、肌の色を根拠に劣っている優れている、綺麗汚いなどのマウントをとったら差別です。

では、なぜ人間はマウントを取るのか。

答えはマズローの法則(欲求5段階説)にあるとゆーりは考えています
(実はこの法則について批判があることをゆーりは今知りました。大学の先生しっかりしてくれ。いや、ゆーりがちゃんと聞いていなかったのか?)。

すっごく簡単に話すと、人間の欲は膨らみ続けるし膨らんでいく過程で他者から認められたい承認欲求が芽生えるということが唱えられています。
つまり、マウントの取り合いは終わらない=差別はなくならないと思うとギョッとしました。

*マズローの欲求5段階説についてはこちら*
https://www.jimpei.net/entry/maslow


ゆーりの説明には語弊がある上に必要なところしか書いていないので読むことを推奨します。



【無意識下の差別】

あまり政治の話はしたくありませんが、記憶に新しい上に分かりやすい例なので取り上げます。東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会元会長の森喜朗氏の性差別発言として取り上げられた発言についてです。

あれは、無意識下の差別の一例でしょう。
真意はどうあれ、森氏の言葉をそのまま捉えるのであれば、彼は差別とは思っていなかったのでしょう。
「女性は話が長い」という彼のイメージというか固定観念というか、とにかくそういうものが彼の中では客観的な紛れもない事実で、この彼の中での「常識」が世間の「常識」とは異なっていたのでしょう。
もちろんこの「常識」と呼ばれるものはまた定義が難しいものです。
時代と共に変化するモノですし、中には生まれてから5歳くらいまでについた固定観念を「常識」というのだという人がいるほどです。
ただとにかく、時代やTPOと共に変化する一般論であることには間違いはなくて、常にその跡を追っていれば「非常識」ではないかと言ったらそうではないのです。
この例から、差別とは悪意のある明らかなものだけでなくて、無意識にもしかしたら自分もしてしまっているかもしれないということがわかります。


抽象的な話に戻ってきて話したこと

そろそろ抽象に戻ってきたいのですが、語り合っている私たちもよくわからなくなってきたので、インターネット様の力を少し頼ることにしました。
ここで、1つ引用します。

(前略)そもそも「区別」とは、あるものとあるものとの違いを認めて、はっきり両者を分けることで、「差別」とは、偏見や先入観をもとに特定の人々に対して不平等な扱いをすることである。(以下略)
 
なるほどと思う反面、よくわらかない言葉が出てきました。
「平等」という言葉です。
きっと私たちはこの平等という言葉についての理解が深まらないと、この議論を進めることができない気がします。
なぜなら、この話、2回目なのですから。
そしてこの時点で既に日付が超えています。
ゆーりの頭も疲れました。なので今日のまとめを以下のようにしました。

まとめ

ここまでで分かったことは、

・「区別」は紛れもない事実に基づいた機械的な仕分けのようなもの
・「差別」は固定観念、潜在的イメージ、偏見などがキーワードになった何か
・まだどちらとも定義づけられないものがあって、それには「平等」が関わってくる

ということです。図にするとこんな感じ。

ということで、次回は「『平等』とはなにか」というテーマで語り合いたいと思います!

多分2週間〜1ヶ月後くらいになるでしょう!

日時が決まりましたら、HAKUNAのファンボ、Twitter、Instagramでお知らせいたします。

さいごに

まずは、ゲスト枠に上がってくれた方やマネージャーをしてくれた人をはじめ、この日ゆーりの枠に来てくれたすべての方に感謝です。ありがとう。諸事情で主語がなく、ともすれば全てゆーりの考えのように見てとれるかもしれませんが、そんなことはありません。みんながいなかったらできなかったことです。

それから、当日は来れなかったけどゆーりとHAKUNAで仲良くしてくださっている方に、当日を迎えるにあたって相談をしたり、きっかけをいただけたりしました。ゆーり1人ではできなかったことです。ありがとう。

こんなことをするのはもちろん初めてだし、普段のゆーりの配信スタイルとは大きく異なるので、迷惑・心配をかけた部分もあると思います。ゆーりの力不足です。すぐにとは言えませんが少しずつ成長します。

さいごに、こんな駄文を最後まで読んでくれてありがとうございます。
ゆーりには専門的な知識はありません。無意識の差別もきっとしています。文章を書くのは好きだけど、はちゃめちゃに得意ではありません。なので、読みにくい部分や不快に感じる表現があったかもしれません。それでも興味を持ってくれた人がもしいたら、次の語り合う配信でもぜひお会いしたいと思います。

引用

前田美乃里、「区別」と「差別」、
https://www.jimpei.net/entry/maslow
2021.2.21閲覧

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