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大森靖子というオリオン座


大森靖子自由字架ツアーのファイナルとなるはずだった東京公演の一部二部を浴びた帰路、一人上野駅のラーメン屋さん(混雑しておりなかなかビールが来ないと思っていたらセルフで頼むスタイルだった、なるほど)の待ち時間でこの文章を書いている。

思えば大森靖子さんはこのコロナ禍でのライブ本数で言えば、おそらく日本一公演を敢行したアーティストではないだろうか。
今年の四月のえちえちDELETEツアーを皮切りに(私の京都磔磔という遠征初デビューとGUCCIデビューでもある)素敵な夜のあわいのビルボードでのおかわりライブ、夏からのZOCのツアー、合間に定期での秘密の接触やフェスや向井さんとのツーマンそして今回の自由字架ツアー2021は初日のキネマ倶楽部から始まった。

先月末の仙台以降、4週間ぶりのライブだった。

数ヶ月ぶりに会った友人の赤子がつかまり立ちを始めたように、大森靖子さんの歌は日夜進化する。えちえちDELETEツアー横浜で弾き語りオンリーの際に、ちょっと落ち着かないなと言っていた姿はもう無かった。

圧倒的な空間支配能力に脳天が痺れる。眼が、1秒も離せない。
大好きな歌の歌詞に眼球足んないというフレーズが出てくるが、お手上げ状態に近い。
小説は文章と想像、漫画は絵と文章、ただでさえ私の把握能力は低く時間がかかるのに、自由字架は音と歌と踊りだ。
そこに息遣いと独白の様な台詞と静寂まである。
情報が大渋滞だ。私の好きな漫画でいうところの無量空処を浴びている状態。
何も出来ず抜け殻となり、深夜にラーメン屋でビールを飲むしかない状態である。(二杯目)。

大森靖子さんは一部二部と公演がある中で、持ち前の実生活が疎い性質で事前にチケットを申し込めない時も多々ある中、当日券を買ってでも観たいという気持ちの源泉を考えたときに、その変幻自在な魅力が理由にあると思う。
セットリストから表現から、何から何まで違うのだ。最近は一日の間に衣装や髪型まで違い一つところとして同じ貌がない。
ファンとしては見逃せず、行けなかった公演は嫉妬してしまい貴重なファン仲間が投稿してくれる動画が見れない程だ。

そんな、彼女の、魅力。

大森靖子さんは一個人であることは大前提であるが正直言って当代切ってのロックスターだ。
あの稀有な才能を理解出来ない奴は全員馬鹿だと思ってるし、勿体なさすぎる。
せいぜい残念な人生をどうぞ健やかに送ってくださいねと思っている。(性格が悪い)。
天才なんてインフレしてるから言いたくないが、間違いなく天才だ。
なのに生身の体を持っている。奇跡に近い。

彼女がこの日本に生きて、私と同じ様にTVやインスタなどの広告を見て購買意欲を感じたり果てはTwitterのDMにたまに返信を下さるなど論外である。歴史のバグが起きてあの才能と同じ場所に生きてほんの一時でも交わることが出来るのは幸運以外の何者でもない。

今夜の公演で私はその片鱗を目撃した。
stolen worlD。
たいして知りもしない奴が助けられなかったなんて嘆く馬鹿馬鹿しさ、悍ましさ、昔からご冥福をお祈りしますの定型文が大嫌いだった、気持ちよくなってんじゃねぇよで胸を掴まれる叫び声、死ねなくなっちゃったけどいつだって死にたい。

きもいかわ。
助けてなんて言えない。弱みを見せられない。そんな自分を許してあげてもいいかなと思える。

真っ赤なライトで剥き出しで血だらけの魂が浮かび上がる死神。
やり尽くしたか?と責められるのはやりつくした人だけ。あまりにも不器用に真っ直ぐで、だからこそ傷だらけでもがく。触れたら切れるような生き様の美しさに息も出来ず眼が眩む。

しんとした静寂を優しく溶かす、オリオン座の伴奏。項垂れて動かない靖子ちゃんを包み込むsugar beansさんのピアノとりこちゃんのダンス。
打って変わって優しい聖母の様な笑みを浮かべた靖子ちゃんが白いライトに照らされる。
冬の一等星。
灼け尽くすシリウスを内包した私の一番星だ。

約束だよ。と五芒星を描く小指は細く白く、甘やかな祈りの様だった。

私の恒星、光と闇、夜と朝。
夜から朝に駈け抜ける素敵な一日でした。

そろそろ私も帰ります。おやすみなさい。