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考えさせられる現実 深層心理の理想 MIU404は水戸黄門ではない勧善懲悪なのか

被害者感情を考えるのならば、目には目を歯には歯をというのが非常によくわかる。ハンムラビ法典は現在では最古の法典とはされていないようだが、復讐法の原点であることは間違いないだろう。紀元前1792年とされているハンムラビなので、人類の歴史は途方もなく昔から続いており、そこにもまた法によって統治されていたことを想像すると現代との人のつながりを感じてしまう。

先日のMIU404のストーリーは、至極単純。妻を殺害された元警察官が、その復讐のために加害者を殺害するというもの。
ここに、その警察官が主人公の恩人であったりとかその殺害方法が20年も前からの猟奇殺人の手口と同じであったりとかいう伏線が絡むので、事件が複雑化していく。
殺害現場が自宅の風呂場であり、凶器は洗面所におかれたままになっているところ、そして、元警察官の「お前にできることは何もなかった。何も。」という主人公への言葉が、このドラマの甘くない現実であり、見所のひとつだと感じている。

また、野木亜紀子さんのオリジナル脚本ということで、アンナチュラルの続編ではないが、中堂という解剖医の所見から犯人が元警察官であることが割り出されるのも非常に興味深い。中堂にもその生き様があり、彼もまた被害者遺族であったからだ。アンナチュラルを知る人なら、中堂には指の切断のされ方が異なることを敢えて言わない選択肢も考えられたと思われるだろう。復讐を遂げることに必ずしも反対の立場ではなかったからだ。しかし、中堂自身の生き方が、最後の裁判で少し変わることができたと思わせるようなこの切断の仕方の異なる指摘は、さすがとしか言い様がない伏線の回収であった。
人が未来へつながっていた、すばらしい脚本だ。

ドラマの見過ぎかもしれないが、新聞やニュースを見ると、被害者遺族にとってみると到底納得のできない判決が下されていることがある。中には、裁判まですることもできないような事例もあると耳にする。
日本にも裁判員制度が導入され、もう数年が経つ。しかし、日本では判決の際の参考にされる程度でしかない。実際、裁判員が被害者遺族の感情を汲んで出した判決を、過去の判例に基づき裁判長が覆すという事例も存在している。なんのための裁判員制度なのか、と疑問に感じたが、加害者もまた守られる立場にあるのが日本の法律なのだろう。
誤って交通事故を起こしてしまった男性が、一人は現行犯で逮捕され、もう一人は逮捕までにかなりの日数を要したということがあったが、逮捕されなかった男性がかなりの要職の人物であったがために物議を醸し出したこともあった。

現実と理想。私など手の届きようもないところで、不都合な真実が存在していることが、この情報過多の時代では容易に推測できてしまう。
正しいことが正しくいてもらわなければならない。
かつて、水戸黄門はお茶の間のヒーローでもあった。悪いことをした者は、偉くても偉くなくてもご老公にお裁きを受けた。その完全な勧善懲悪が、理想として人の心をつかみ、多くの人が視聴していた。

野木さんのドラマは、現代の勧善懲悪なのかもしれない。
不都合な真実にあえて目を向けて、被害者が加害者になることで、我々の声とならない叫びを代弁してくれているような気がした。
我々は、どこかで「納得したい」のだな。

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