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コメント力 瞬発力 適応力

どの場においても、コメント力とはとても大切な力だ。軽妙なやりとりの中に、相手を思わずうならせる一言が言えれば、主導権を握れる。相手に尊敬されれば、あるいは好意的に見てもらえれば、その後のやりとりはスムーズになっていくだろう。営業にしても会議にしても、それが教室においても、だ。
もちろん、機知に富んだことが言えるためには、やはり経験が大事なのだろうとは思うが。

のぞみはありませんがひかりはあります

ある新聞の切り抜きであるが、駅員さんとは思えない非常にユニークかつあたたかい返答だ。朝のラッシュ時ではないだろう。お互いに少し時間に余裕があるのだろう。こんなやりとりができたら、その日は何だか良い気持ちで過ごせるのではないだろうか。

相撲界は厳しい世界。
その世界で生きてきているある親方が、まだ小学校ににも入学していないだろう子どもにこう尋ねられたとのこと。
「おすもうさんて、なんであたまにちょんまげがあるの?」

その答えの秀逸さとおもしろさが今でも忘れられない。
「ただのデブと間違えられないようにするためだよ」

もう最高。
子どもに相撲道の歴史を説いても仕方がない。かといって、昔からこうだからなんだよって言ってもつまらない。

場を読んで、相手を見て、瞬発的に発したコメント。
どちらもすばらしい。

*****

教師の授業力も、これと同じなんだと思う。
場を読んで、相手を見て、瞬発力を発する。
気の利いたコメントが言えるかどうか。

指導案なんて、どれだけ書いても実際に違うことはいくつも起こりうる。子どもは生きているのだから、当たり前だ。
人を育てているのだ。机の上で考えているものにあてはまるわけがない。
この瞬発力は、現場でしか鍛えることができない。

指導案を書くこと全面的に否定しているわけはない。書けないと話にならない。
しかし、それだけでは授業は上手にはならない。絶対にならない。

人に見てもらって、人に見せてもらって、授業は上達する。
近道はない。
動画でも何でも良い。良い授業を見よう。できれば実際に見せてもらおう。
そして、見てもらおう。見てもらってアドバイスをもらおう。
厳しい言葉を書けてくれる人ほど、真剣に見てくれた人だ。真剣に考えてくれた人だ。

無意識に反応できるようになるまで、やり続けるしかない。
有意識・有能の上を行け。
無意識・有能の域に達しよう!


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