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答えは間違いなく否である

再度の話ではあるが、緊急事態宣言が一都三県に発出された。前回は2020年の4月のこと。あの時も全国一斉に発出したわけではなく、最初は県を限定して発出された。しかし、発出の対象にはならなかった府県が次々に要請を出し、結果的に全国一斉に緊急事態宣言が出された形となった。まだ記憶に新しい出来事だ。
今回の緊急事態宣言は、前回の時とは宣言の対象もかなり異なるような印象を受ける。そもそも、宣言の対象って?という話になると思うのだが……。

まずもって、医療の現場はもうとっくに限界を超えているのだろう。休みなく働く医師や看護師には、本当に頭が下がる。尊敬しかない。自分のようなものには務まらないことである。
緊急事態宣言が出ることによって、医療の現場の負担が少しでも軽減されることを願うばかりである。

では、教育現場はというと。
まず、一斉休校にはどうやらならなさそうである。
そりゃそうだろう。まず、受験シーズン真っ只中であることが考えられる。小学校受験、中学受験はもちろん、すぐそこには今年度から新しくなった(?はずの)大学入学共通テストが待ち構えている。それらの準備はもう済んでいる。あとは受験が無事にとりおこなわれることを待つばかりのはずだ。それらを全て中止、あるいは延期とは現実的にできないのであろう。
また、高校入試もすぐそこに迫ってきている。多くのことを我慢させられてきた中学3年生や高校3年生にとっては、ストレス以外の何物でもなかろう。
反面、受験さえ滞りなく行ってもらえれば、休校になってほしいというのが受験生の本音なのかもしれない。自分がしたい勉強ができるし、コロナに限らず病気になるリスクを冒さずに済むのだから。もしかしたら、受験生の家族たちも同様かも。自主休校が欠席扱いにならない自治体の家庭は、積極的に自主休校する気がする。

しかしながら、一斉休校は、果たしてそんなにも愚策だったのであろうか。
学校現場の実際は、感染予防対策は万全なのだろうか。
答えは、間違いなく“否”である。
今日(1/9)になってようやく文科省からの通知が出されたことが、ほんの小さく報道されたようだ。「合唱や調理実習等は、考えて行いなさい」みたいな感じで。何とも苦しい表現ではある。学びの保証より命の保障が最優先されるべきだと思うのだが。

何しろあれほど敏感であった感染予防対策は徹底されてはいない。
人間の慣れとは、そういうものなのだから仕方ないといえばそれまでなのだろう。いやいや、今回ばかりは慣れを言い訳にしてはいけないはずだ。
休み時間に密は避けられていない。マスクをしっかりしている児童生徒は100%ではない。その理由は、怠惰な理由から発達障害的な理由まで様々であるが。
給食の前には全ての机と椅子を消毒している?
全員が前を向いて、話をせずに給食を食べている?
毎日聞こえてくる音楽室からの大合唱。
この寒さの中、常時換気をすることはとてもとても難しいようだ。

学校でコロナの陽性者が出ると、基本的には休校の措置がとられてきた。しかし、濃厚接触者かどうか怪しいとき、つまり濃厚接触者の疑いがある段階ではまだ登校している。保健所から濃厚接触者として認定されると、出席を停止せねばならない。指示に従いPCR検査を受け、陽性反応が出ると、そのまま2週間隔離だ。
が――。
濃厚接触者に認定される直前までは普通に登校していることを、世の中の人は知っているのだろうか。ご想像の通り、その直後のPCR検査で陽性反応が出たということは、登校していたときはすでに保菌しているという可能性が極めて高いことになる。

この場合でも、同じクラスの子どもたちは濃厚接触者には認定されないのが、今の学校現場の流れである。
想像してみてほしい。
あなたの子どもの隣で、または、あなたの友達の隣で、保菌者がマスクを外して給食を食べているかもしれないということを。

保菌者が悪いわけでは決してない。そういうことを言いたいのでは決してない。
今の感染拡大状況と経済を止められないという状況を考えれば、極力感染しないように努めていても、どうしても感染してしまう可能性は0%にはならないことは理解できる。
当たり前のことが制限され我慢しながら生きている中で、人間としての尊厳を維持することは【人が生きる】という意味でも大切なことだからだ。
それは、心でも理解しなければならないことなのだろう。

ここで言いたいのは、学校にはそういう無意識の中で感染を広げてしまう可能性がいくつもの場面である、ということだ。

これを、“慣れ”という言葉で片付けて、今まで通りに過ごしていては絶対にいけないはずだ。
今の子どもたちは、コロナに対して正しい知識を身に付けなければいけない。正しく怖がり、正しく予防しなければいけない。そして、感染を広げないような行動を責任をもってしなければいけない。
子どもたちにその意識を持たせるのは、間違いなく大人の役割のはずだ。その責任も大人にあるはずだ。

その責任を、それこそ責任を持って果たす場所に、学校はならなければならない。
そんな学校に、誰がするのか。
答えは明らかである。

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