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小学校でも外国語学習が始まっています 授業にはどのようなイメージを……その2

その1での前置きが長くなってしまった。

さて、小学校の英語学習である。
多くの反省?を踏まえて『英語が話せるように』という考えを念頭に置き始まった(はず)。

まず、小学校では英語を教えるのは担任である。
中学では英語の先生がいたと思う。先生の個人差はあるが、英語を専門に教える先生がいる。中には流ちょうに英語を話せる先生もいたと思う。そうでなくても、それなりに英語を専門に勉強してきた先生であり“教員免許状”も英語の免許のはずである。
しかし、小学校ではほとんどの学校で英語を教えるのは担任の先生である。もちろん、中には流ちょうに英語を話せる先生もいるであろう。しかし、英語は話せない、教えるなんて初めて、という先生の方が多そうである。

ALT(Assistant Language Teacher)の先生がいる学校もあろう。ALTとは外国語指導助手のことで、外国語の授業をするときに手助けをしてくれる先生のことだ。これは、ネイティブな英語を話せる外国人の先生であることが多い。この先生のおかげで、子どもたちはネイティブな英語を耳にすることができる。
が、ALTの先生は、英語の授業に毎時間いてくれるわけではない。週に一回程度が関の山だろう。週に一回、45分の授業にいてくれるだけである。

したがって、ほとんどの学校で英語は教科書を用いて担任が英語を教えることになる。もちろん日本語で。
英語を身につける一番大事なのは、リスニングではないだろうか。日本語を身につける際も、必ず耳から覚えたはずだからだ。

小学校から始まっている英語学習の真の目的は一体何なのであろうか。英語は身に付けたい言語だとは思うが、身に付けるとはどのようなことなのをイメージしているのだろうか。
もしかしたら、受験科目の中から英語を切り離さないと、今の学習体制は変わらないのかもしれない。英語を聞いたり話したりできるようになるのは、小中の授業だけでは難しいことをご理解いただきたい。

立派な国際人となるということは、立派な日本人になることである。胸を張って、自分は立派な日本人ですと言えるぐらいになってほしい。日本はそれぐらいすばらしい国だ。そして、義務教育とはそのためにあることを忘れてはならない。


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