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嫌われる素質


突然だが今日はここで私の「嫌われエピソード」を書いていこうと思う。

なぜそんなことをするのかというと、まず私と私の家族の近況を報告するところから話さなくてはならない。

今年の十月に私たち家族は群馬県からある街に引っ越しをしてきた。そもそも群馬県に住む前には愛知県に十年以上住んでおり、夫の転職の関係で移り住み、そこから八ヶ月群馬県で過ごしたが、夫がさらに転職、東京で働くということで一年足らずしてこの街へ引っ越しをしてきたというわけだ。

群馬県は私にとても合っていた。山に囲まれた美しい風景は私が理想とする暮らしそのものだったし、群馬県で出会った人々は本当に面倒見がよく穏やかだった。子どもたちは「親友」を何人も我が家に連れてきていた。大好きな図書館や美術館もいくつもあり退屈しなかった。私はパートタイマーで働きながら写真を撮っているのだが、パートの仕事も融通がきくし人間関係も良好、好きな土地で写真も撮りなんのストレスもなかった。というのは、私と子どもたちだけで夫はそうではなかった。

夫はもともと愛知県で不動産関係の仕事をしていたが、転職をきっかけに不動産部という名ばかりの小売りの仕事に就いた。夫は仕事が生き甲斐という人間で、不動産の知識や自分に持っていないスキルを手にすることが喜びだった(実際に難しいと言われる資格もいくつも合格している)。あまり口数の多い方ではないが、不動産や建築のこととなると饒舌に話した。
しかし転職をきっかけに夫の生き甲斐はなくなってしまった。小売業に興味がもてなかった夫は毎日仕事をしていても曰く「なにもしていない感覚になる」そうだった。
毎日消耗していく夫にこれではいけない、家族みんなが幸せでないと!とたった八ヶ月だったがまた不動産関係の仕事をしたいという夫とともにここへ引っ越してきたのだ。

やっと慣れた環境も職場もまた新しく一からのスタート。ありがたいことに息子たちはすぐに順応してくれ、「親友」を再び家に連れてきている。夫もいい上司に恵まれ、やりたかった仕事へ復帰でき生き生きとしている。

さぁ問題は私。私の生きる喜びであった美しい山々も毎週せっせと通ったあちこちの図書館もここにはない。(ひとつだけひっそりとした図書館はあった。)そしてなんと美術館がこの町にはないという。がーん。正確に言えば市民ホールという名のギャラリーや展示されるものが変わらない歴史博物館的な美術館はあるけれど…。
そして引っ越し早々新しくパート先を見つけたが、新しい仕事を覚えることも人間関係を築くことにも苦労している。
家族の中で私だけがまだ群馬県に取り残されている。

そんな私の精神的ストレスが現在ピークに達しており、普段は本を読みストレスを発散させるのでメルカリで購入した数冊の本を読んでみたが、(とっても面白かったけれど)胃の痛みは治まらない。休みの日であっても仕事へのカウントダウンと化しちっとも心休まらない。どこかへ出かける気にもならないし、なんなら頭もずっと痛い。なんとか書くことで消化できないかと試みた結果がここである。傷を抉り出して膿を出そうではないか作戦である。

さて本題に戻るが、私はある一定数の人間に嫌われる素質がある。これは決して被害妄想ではない自信があるし(胸を張って言うことでもないが)、もうこの年になるとそう悲観することもない。ただそうなんだ、と受け入れている。

まず断っておくが、私は初対面の人間はもちろん、店員さんや仕事関係で会う人、息子の友達の母親など、に対し嫌な態度をとることはまず一切ない。(自分で言うのもなんだが)寧ろにこやかに、当たり障りのないのないコミュニケーションをとることができる。しかしある一定の人間から嫌われるのだ。嫌いであればそっと距離を置いてくれればいいが、仕事や仕事や仕事など、距離を置こうにも置けない時もある。

若い時はそれはそれは誰かに嫌われるということが恐ろしかった。学生時代の狭いコミュニティの中、複数人またはそれを束ねるボス的存在の人間から嫌われるというのは「人生の終わり」を意味し、そんな恐怖から心を病んでしまったこともある。

ではどんな人間に嫌われてしまうかというと、基本的に"女性"だ。これは私が愛想がよくそこそこに可愛らしいからだ、というわけではもちろんなく、私自身が嫌われたくない対象が"女性"であることを意味する。不思議なのだが男性にどう思われているかについては私はあまり関心がない。こちらが関心がなければ嫌われようが好かれようが気にならないのだ。反対に女性から嫌われるのはとても面倒で自分の気持ちも落ち着かない。自分にとってあまり関わりのない人間であったとしてもしばらくは気分が沈むし、関わっていかなければならない人間であればそれはもう言葉にするまでもない。その恐怖心こそが相手に自分を嫌いだと意識させるトリガーなのだと考える。

「ゆりは八方美人だよね」

私が「八方美人」という言葉を初めて知ったのは中学一年のときだった。当時同じ剣道部だったあやっぺから直接言い放たれ知ることとなった。
この言葉の意味をまだ知らなかった私は嫌味だとも思わず「美人」と名のつくこの言葉を褒め言葉だとさえ思った。
帰宅し母からいい言葉ではないことを教わり私はひどく落ち込んだ。まさに人生の終わりだった。あやっぺはあだ名こそ可愛らしいが当時私の中学校で数少ないボス的存在であったのだ。

そこからはどうしたら「八方美人」にならないか、女の子に嫌われないようにするにはどうすべきかを意識するようになった。「八方美人」の他にも私にとって恐ろしいワードはいくつかあった。「ぶりっ子」と言われないようサバサバとした言葉遣いをするようにしたり、「偽善者」と言われないよういじめられている人がいても見て見ぬふりもした。

そうしていくうちに私は気の強い相手に対して「オドオドする」ことを身につけてしまった。
ぶりっ子にならないようサバサバとしつつ偽善者にならないようヒョウヒョウとしつつ八方美人にならないように…なんてこと考えていたら頭の中はパニックになり結果オドオドしてしまうという流れだ。

そんな中学時代、私のオドオドとした態度はある一定の人間をイラつかせるようで、やはりいじめられる対象になることもあった。いや、サバサバしていてもヒョウヒョウとしていても嫌われる人には嫌われるんだろう。そう考えると別に自分がどうあろうが嫌われる素質は誰にでもあるのではと思ったりもするが、今回は私の膿をかき出してストレスを発散する回なので他人のことは置いておくこととする。

丸腰な相手に銃を向ける人間を擁護するわけではないが、実は私のことを嫌う人間の気持ちもわからなくはない。なにもしていないのに目の前でビクビクしていたら、なんだかイラッとするんだろう。もしかしたら銃を持っているだけで撃つ気はないのかもしれないし、銃口から出るのは弾ではなく旗なのかもしれない。はたまた私の態度が獲物を狩る本能を呼び起こすのかもしれないし。睨み返したらそれはそれでバーンとなるのだろうけれど。

それでも私が大人になるとどうやら周りも大人になるようで。そんなあからさまな人間も減ってくるし、私もできるだけ心の中でオドオドするという技を身につけたのでそうそう嫌がらせを受けることも減ってくる。
しかし私の嫌われアンテナはすごい。せっかく相手が大人の対応をしてくれているというのに、まるで鬼太郎のごとく髪を逆立て嫌わレーダーをキャッチして勝手にダメージを喰らっている現在というわけだ。

今まさに新しい環境で私の心の平穏は保たれず、特段嫌がらせなんて受けていないけれど、気の強い相手にそれはもう例の如くオドオドしている。
仕事にさえ慣れてしまえばいいだけだ。と35歳ともなるともう解決方法は知っているけれど、それには嫌でも時間が必要で、歳を重ねるのはあまり喜ばしくないが早く半年後、一年後にならないかなぁとそんなことばかり考えている。しかし35歳の嫌な一日の長いこと。


そんな私も誰彼構わず嫌われるわけではない。人間には相性というものがあって私にも相性の合う人間はいる(今の職場はいないけれど)。

それは私の頼りない性格をしっかりカバーしてせっせと世話をやいてくれるような人間だ。
ありがたいことに夫の母や夫の姉はまさにそういうタイプ。そして群馬県で出会ったパートのおばちゃんズ(もちろん私もおばちゃんズの一人)と、これまた群馬県で出会ったみかちゃん(息子の親友の母)。みんながみーんな私の頼りなさを豪快にカバーしさらにリードしてくれそして私の遣いすぎる気も優しく受け止めてくれている。こちらへ引っ越したきた今も会う約束をしているくらいの関係になった。

自慢ではないが私は友人が本当に少ない。そのへんの「私友達全然いないから」という人よりも少ない自信がある。そんな私がたった8か月しかいなかった群馬県でこんなに心許せる人間関係を築けたことが奇跡だったのだと思う。

ある一定の人間に嫌われることを悟った私はいつからだったか、全員に好かれなくてもいいと(やっと)思うようになった(今は新しい環境に疲弊こそしているけれど、決して皆に好かれたいとは思ってはいない)。
SNSでの薄っぺらい関係にもホトホトうんざりしたのでSNS付き合いたるものはパッタリとやめ、SNSで出会った人間関係も私が好きだと思う人間にだけ私が億劫にならない程度に私から声をかけられるようになった。
最悪その人たちからも疎まれるようになったらば、私には愛する夫と、可愛い息子たちがいる(それと心の中に大好きなおばあちゃんも)。息子たちが私のことを鬱陶しがるようになって(まぁ近いうちにそんな日がくるであろう)、夫が私より早く死んでしまったとしても私には写真とアートがある。動物が好きだから魚や鳥を飼うのもいい。

35歳にもなってまだこんなにオドオドするなんて、なんて情けない私(恥ずかしい話だが、一週間前まで毎日泣きべそをかいていた)。
しかし幾つになってもきっと新しい環境は人間をちょっとだけ弱くさせるのではないだろうか。

ただ中学の時の私とはもう違い、35歳の私は私を豊かにしてくれるのはなにかをもう知っているし、私にも(少ないけれど)大切にしたいと思える人間ができた。

だから頑張れ。もうちょっとだけ踏ん張れ私!

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