海王星を笑う者は海王星に泣く
いきなりではございますが、私の目に映る夫はこのように見えています。
ええ、そうです。ほぼ大友康平に見えています。吹きだしたそこのあなたぁぁぁ!一円を笑う者は一円に泣く、海王星を笑う者は海王星に泣く、のでございます。現実世界の形をそのまま認識するのは凡人のやること。顧客の視力を劇的に改善させてしまう、とある天才メガネ屋さんが「なんでもはっきり見えりゃあいいってもんじゃない」と仰ったそうですが、やっぱり天才は違うわぁぁぁ
大友康平と夫の共通点といえば、こじんまりした逆三角形の筋肉質の身体、それどこで買えますのん?という異様に襟の高いシャツを第三ボタンまで開襟して着ているところ、ヘアスタイル、そんくらいのものです。でも、私の目から見た夫はこのように見えているのです!!!
宝塚の男役にトキメクのは凡人の域。推しのアイドルにトキメクのは小娘でもできるってもの。「夫には男性を感じません。夫にはもはや何のトキメキもありません」そのように仰る女性がいます。おおよそ、その発言が出る時点で色々と間違ってます。トットと己の人生を考え直した方がいいです。すみませんが、アタシに言わせると、
あほか!!!その位置から見たら、そうなるのは当たり前じゃ。何のために海王星があるねん。海王星を使え、このやろーーーです。
100パーセント、イマジネーション世界(幻想・妄想)の住人になってしまったら、それは狂気です。現実が見えていない完全お花畑の世界。でも、現実を捉えた上で、海王星を使うのは熟達した人間の成せる業ですwそれは人生経験を重ねた者の特権でもあるのです。
たとえば、海王星にソフトアスペクトしかない方や海王星がアングルに乗っている方というのは、ナチュラルにイメージと現実を重ねていたりします。自分ではほとんど意識していませんが、自然発生的に海王星を使えちゃっているんですね。これも行き過ぎると問題があるとは思いますが、海王星は魔法のような天体なんです・・・
とんでもない大変な状況や精神がどうにかなりそうな修羅場に置かれたとしても、海王星はそれをうまく包み込んでくれます。命に関わるような病に罹患しても、全財産を失ったとしても、飄々と美しく乗り越えていく方が時折おられますが、私から見るとあれは海王星パワーなんです。
そのような方は現実を一旦受け入れた上で、イマジネーションをそこに重ねあわせているんです。(ただただ現実を現実として見てはいない視点)死ぬかもしれない状況でも悲劇のヒロインを演じているような世界観。あるいは、来月の家賃が払えないかもしれない状況でも、困難に遭遇したお姫様を演じているような感じーーーちょっと極端な表現ですが、そんなふうにして現実そのものと体感の間にベールをかけているんです。
恐怖や絶望や発狂しそうな感情から逃げずに、思い切って真正面からそこに突撃していくと、突き抜けて反対側へ出ます。その感情そのものが愛おしくて、そしてとても美しく感じる地点というものが存在します。それと同じで、大変な現実を直視して受け入れ尽くしてしまうと、別の世界が見えてきます。それは美しくて優しくて境界のない世界、それが海王星の魔法なんです。
かつて、夫とは究極の段階までぶつかり合いました。お互いがもっとも触られたくない部分を丸裸にしあい、二人を隔てるように血と涙の水たまりができていました。(でた海王星)そうして、現実や相手を受け入れ尽くすと、海王星が立ち上がってくるんです。形を超えたものが入り込んでくる・・・夫が大友康平に見えているというのは、本気の話だしファンタジーの話でもあります。
まれに、魂の底から幸せそうなおばあちゃん・おじいちゃんがおられます。静かに笑みをたたえて、何があろうがなかろうが、今ここに着地しまくっているお二人。もはや存在自体が至福です。あれぞ海王星です。人生の酸いも甘いも体験し尽くして、たどり着いた桃源郷・・・
現実のその先に形を超えた世界があります。自我の融解した世界。自分の視覚を超えた無限世界。もはや、苦しみは苦しみであって苦しみではない。花びらは花びらであり花びらではない。もはや、私は私であり私ではない・・・形を超えたものこそが本当の幸福なのだと思います。
さて、皆さま、夫が王子様に見えてきましたか?w
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