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ホロスコープ<共時性>の摩訶不思議

私たちがこの世に誕生する時、「人生の取り扱い説明書」が与えられるーーそう言うと、まさか、そんなバカな!と思われるかもしれませんね。しかし、それは根拠なき迷信ではありません。


私たちが生まれ落ちた瞬間の「星の配置」を記したものがホロスコープです。その「取扱い説明書」が個々人の個性や人生と恐ろしい程にリンクするのは、共時性(シンクロニシティ)という法則ゆえだと思います。


そもそも、共時性とはユング心理学から派生した概念です。主に、言語学の分野で使われる言葉でした。しかし、量子力学や数学がすでに解明しているように、「意識という原因が存在し、それが現象を生み出す」という「科学」の領域でも証明されている法則です。



つまり、この世界には、何ひとつ偶然に生じるものはないのです。ありとあらゆるものがこの共時性という法則の下に存在しており、様々な反応を引き起こします。意識(魂)というものが先にあり、結果、私たちは最適な肉体を持って「特定の場所、指定された日時と時刻」にこの世に生まれてくることになります。ミクロとマクロである<天体(宇宙)と個別の生命>は連動しています。それがホロスコープにおける<否定しがたい共時性>です。


ユリシスが自分のホロスコープを読んで、最も驚いたことのひとつが、星が示している「魂のテーマ・人生で向かうべき方向性」についてです。まさに共時性の極みがそこから読み取れました。私は太陽とドラゴンヘッドが射手座にあるため、わかりやすく「射手座が主軸」となっています。



しかし、魂のテーマは蟹座9室にあります。双子座を通して蟹座に至る設定です。ユリシスはマドモアゼル愛先生の月理論を採用していますので、月は恐れであり欠落している能力であるーーという前提で話を進めますね。



私の水エレメントの天体は月と土星のみ。月が蠍座、土星が蟹座です。土星は苦手意識を持つ事柄を示します。時間をかけてそれに向き合い、じっくりと体得していくべき課題を表しています。



月は欠落した性質を示す天体であるーーという視点で見ると、ユリシスの場合、水エレメントが「シングルトン」(ひとつしかないゆえに却って強調されるエレメント)に当たり、実際その通りだと思うのです。



この場合、水の性質を成熟させることは困難を伴う(コントラストの激しい体験を通じて学ぶ)ことが予想されます。通常、苦しい道を避けようとするのが人間の常です。ガタガタの山道を避け、平坦な道を「選び続ける」ならば、「シングルトンの性質」は深められないことになります。



しかし、共時性~意識と物理の法則性~は完璧なのです。私の場合、母が月蟹座であり、幼い時から、蟹座のテーマと向き合わされてきました。(これが結構地獄w)そして、長くお付き合いしていた男性が太陽蟹座でした。それも、太陽・水星・金星・ドラゴンヘッドが蟹座。これは蟹座的な個性化が強い人物を指し、さらに蟹座を極めることそのものが「目指すべき人生の方向性」であることを示します。(蟹の性質を学ぶには最適すぎる相手です)



そして、改めて調べてみると、過去にお付き合いしていた男性は、ほぼ水のエレメントの太陽を持つ方でした。(元夫も太陽蟹座w)
カラリとした現実志向で、自己肯定感の強い男性がユリシスの好みです。(火と地のミックスタイプ)むしろ、一般的にイメージされるような「水の性質が強い男性」は一切合切!タイプではありませんw


それなのにそれなのに!!!水の性質の強い方とばかりご縁があったことになります。私が「選んでいる」というより「選ばされている」背景の力を感じます。自力と他力、魂の意図と自我の望みーー双方向の力が絶妙なバランスで「現実を生み出している」としか思えません。



私は5室のカスプ(ハウスの始まり)が魚座であり、度々、激情型の恋愛にのめり込みました。関係が終わる度に、いちいち人生が終了していましたwそれくらい、恋愛から学ぶことが多い人生でした。感情体験という意味での最大のコントラスト(水の学び)は恋愛でしか味わうことができません。本当に大切なことは「愛」というテーマからしか学べないと、ユリシスは思うのです。



その学びのお相手がみんな「水の男性」であった。これが偶然なはずがないのです。なにより、人を愛し愛される感動と喜び、愛を失って味わう絶望と体が粉々になるような苦しみ・・・それがあるゆえに、今があります。



ホロスコープは遺伝すると聞きますが、さもありなん。詳しく調べたことがありませんが、きっとそうなのだろうと思います。夫のMC(人生の頂点の形・自己実現の方向性)は射手座であり、なんと魂のテーマも射手座でした。私の存在もまた、夫を助け、夫に学びを与えていることになります。そう思うと嬉しいですし、とても感動します。



今、どんな状況にあろうとも、私たちは「目指すべき場所」に向かって歩き、そして、共時性という摩訶不思議な力が私たちを守り、導いているのです。力を抜いてリラックスして、大いなる力を信じてみると「自動操縦」の力がより働いてくれるでしょう。



大丈夫です。私たちは守られているし、愛されているし、許されています。そして、お互いに与え与えられ、ゴールへと共に歩いています。そして、ゴールなんてものも本当は存在せず、今この瞬間が「完璧」な共時性の顕れなのです。


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