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月は二重構造(多重構造)

月は欠損であるというマドモアゼル愛先生の理論に共鳴する方が増える一方、真っ向から否定する方もおられます。私は否定派のご意見も興味深く受け止めています。強い拒絶感を露わにされるケースのほとんどが占星術に関わっている方であるーーというのも大変おもしろいところです。



一般的に、私たちが目にすることができる伝統(古典)占星術や現代占星術の文献においては、月はその人のパーソナルな感情と人格を顕わし、大変重要なものーーという位置づけがなされており、どちらにおいても月の象意は概ね同じであると言えます。



海王星(それ以前は木星)の影響を強く受けていた魚座時代においては、月という天体はその解釈でよかったのですね。(その上で人生を体験する仕組みだったわけです)しかし、天王星の影響を強く受ける「水瓶座時代の月」は解釈が変わると考える方が自然であり、実際そうなのです。(星の実証とは、地上の出来事とひとりひとりの意識によって明らかにされます。細かい理由は割愛します)



ユリシスの主観ですが、月の自己イメージを手放さないと決めている方にとっては、確かに、月はパーソナルな人格なのでしょう。月は拠り所であり心の安定を与えるものなのでしょう。その拠り所を否定すると月を土台として形成された自己が崩壊します。物質主体(現象世界)で生きると決めている人にとって、それは大変酷な話です。すべては個々人の選択如何なのだと思います。



それゆえに、月から(この世的な)幸運を呼ぶということも、一方では事実であったのでしょう。月は物質・肉体・大衆・人気を顕わすからです。しかし、天王星意識を通して「月という天体」を解釈する時、月は囚われであり太陽の反射です。偽りの自己像です。これは明らかです。海王星の負の部分と月が連動して働くからこそ、私たちは魚座時代の貴重な学びと体験ができたのです。



すべての人が二重構造である月を受け入れる必要はないのだと感じています。いや違う、月は本当の私だーーそう思う人にとってそれは事実なのです。何も対立する必要などありません。もうそんなことは無意味なのです。それぞれが自分の道を邁進するだけです。



水瓶座時代はIKNOWの時代。IKNOWとは<我識る>です。知識や概念として知っているーーではなくてく私は識っている>なのです。体験から確信に至っている状態です。識っているのだから、自己証明なんて要らないのです。存在自体が証しだからです。多重構造である月をどのように受け取ろうがすべては尊い地球体験です。ホロスコープが360度の球体である理由とは何でしょうか?



地球上のすべての人のホロスコープを重ねあわせると無数の星で埋め尽くされます。欠けが消えてしまいます。優劣も真偽もなく、ただ圧倒的な輝きで銀河を照らしているだけなのです。




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