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月で生きて月で死んだ、忘れられない人


占星術における「月」という天体について、私は一般的な解釈を採用していません。マドモアゼル愛先生の月理論を元に解釈しています。私自身のこれまでの人生や様々な体験と完全に合致しているという確信の下、そのような結論に至りました。



さて、私の知り合いに<月で生きて月で死んだ>まさに典型的な女性がいます。彼女をKさんと呼びます。



Kさんとの出会いは、私が39歳、彼女が46歳の時でした。共通の趣味を通じて知り合いました。彼女はラウンジで働いていました。いわゆる「チーママ」という立場です。バブルの時代からホステス一本でやってきたという、筋金入りの水商売でした。



彼女のプロ意識の高さの前では、誰もが「水商売への偏見」を飛び越えてしまうくらいの凄味がありました。どんな職業にも優劣はなく、どのくらい本気で、魂をかけてやっているかーーーそれがすべてなのだと教えられました。


彼女はホステスとして人気を得ることに、命を懸けていました。自分を貶める存在、自分の目的達成を邪魔する存在には容赦ない激しい態度を貫き、彼女と接する人は、そんな彼女を恐れながらもある種の尊敬の念さえ覚え、Kさんに一目置いていました。



この世はお金がすべて、自分の存在を賭けてお金をいくら得られるか、それにしか興味がないーーとも言っていました。私のことを「情に流されすぎ、もっと実利を得ることを考えた方がいい」とも評していました。



しかし、とてもよくしてくださり、辛辣なことを仰るのに、その実、とても情が深くて、頭の良い人でもありました。だからこそ、私はKさんが好きだったし、そのような生き方もまたステキなことだなと感じていたのです。



彼女は近畿のとある地方都市に生まれ、裕福なご家庭で育ちましたが、家庭環境は複雑だったようです。二十歳そこそこで結婚・出産を経て、しばらくは満たされた生活を送っていましたが、ご主人の度重なる浮気が原因で離婚。その後、神戸に来て水商売を始めたーーそれがKさんから伺った経歴のすべてでした。



全く違う性質でありながら、私たちは、時折食事に行く間柄となりました。Kさんの誰よりも純粋で真っ直ぐな「生きよう、生き抜こう」とする心意気をとても素敵だと感じていました。



その後、彼女は自分の店を持ち、人生の頂点に立ったかのように見えました。私たちの関係も自然と疎遠になっていきました。それからしばらく経った時、共通の知り合いから耳を疑うような事実を聞かされました。



ねぇ、知ってる?
Kさん、亡くなったのよ・・・



え?
どういうこと?
意味がわからない!!!



付き合っていた相手と口論の末、自宅マンションの屋上から飛び降りたーー
新聞にも載ったというのです。



そう。彼女は死んだのです。
亡くなる数年前、乳がんを患い、そのストレスから精神が不安定にもなっていたそうです。そして、普段から喧嘩の絶えない関係であった恋人との諍いの末、自ら、その生涯を閉じました。



享年52歳。ようやく夢が叶い、これからだという時。余りにも若すぎる終焉でした。いつも精一杯で、見ていて苦しいまでに貪欲でした。誰にも負けたくない、一番でいたい。誰よりも人からの注目と人気を得て、愛されていたいーー



嵐の如く生きぬいた人生。
苦しかったことでしょう。心の休まる時がなかったことでしょう。でも、素晴らしかったよ!あなたはいつだって気迫と勇気に溢れていたよ!



私は心の中で、そんな言葉を贈りました。今でも、時折、彼女を想います。あの美しい横顔、嘘のない真っ直ぐさ、決して弱みを見せない強さ・・・あなたは本当にカッコよかった。



でも、でもね、月で生きれば、やっぱり破滅するんです。月で得たこの世の果実のすべては、やはり最後に消えてしまうんです。まるで、海の藻屑のように・・・



月は太陽を真似します。キュービックジルコニアの輝きがダイヤモンドの美しさには適わないように。月は「本物」の真似をします。それは自我が神になりたいと恋焦がれるようなものです。



恋焦がれる必要なんてなかったんです。誰にでも内なる神がいるのです。それは太陽という魂であり、純粋な喜びです。



満たされなかったあらゆること、愛されなかった自分、実現できなかった願いの数々。それらを月(物質・目に見える現象)で満たそうとすることから、私たちの人生の歯車は狂い始めます。



月は他者と比べます。一番でいたいと思うのです。そして、外界からの賞賛や他者からの人気や愛を欲します。そこには太陽という決して傷つかない自己が存在していません。彼女は月の願いを生きていました・・・



太陽の道だって楽ではありません。苦しみが伴います。けれど、月の苦しみとは違います。太陽の苦しみは必ず結果を齎し、決して、私たちを欺くことはないのです。



月を神と見なしてもいい。月を重要視してもいい。しかし、月は、「早晩消えてゆく砂上の楼閣」であることを忘れてはならない。決して、月に自分の魂を明け渡してはならない。私はそう想います。



月で生きて月で死ぬーーー
それを体現してみせてくれたKさん。見事な生きざまでした。



咲いた端から散りゆきたあなた・・・
どうか、今、天国で安らかにあれ・・・
そう願わずにはいられません。



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