地図にない名前を呼ぶ彼女のこと
ウズベキスタンのブハラという街で、ひとりのベトナム人の女の子と仲良くなった。名前はキム。ブハラで泊まった1軒目の宿がかなり酷かったので、急遽つぎの宿を探しているときに出会った。
「あら、大変だったね。私が泊まってる宿なら、ベッドは清潔。シャワーはちゃんとお湯が出るし、水圧もじゅうぶん。朝ごはんはそこそこ美味しいし、ホストの家族もいい人たち。値段は8ドル。悪くないと思うよ」
旅慣れた人ならではの簡潔かつ的確にまとめられた情報に感激したのと、南国の日差しみたいにパアッと晴れやかに笑う彼女の笑顔を見て即決した。「決めた、私も今日はここに泊まる」
お昼は別行動だったけれど、夕ご飯を食べるために立ち寄ったレストランになんとキムがいた。
「旅の始まりはベトナムからだったんだよ」私がそう話すと、キムはよろこんでくれた。
「お世辞でもなんでもなく、ベトナムのご飯が一番好き」と伝えた。ちょっと誇らしげに笑う顔がとてもかわいいと思った。
キムは現在、ホーチミンで働いており、少数民族などの支援の仕事をしているのだという。ウズベキスタンへは休暇で来ており、毎年一度は海外でリフレッシュするのだそうだ。
話していくうちに、私が好きだったフォーのお店は、キムの住んでいるマンションの目と鼻の先だったということがわかった。
キムの勤務先の近くも、私が何度も通った通りのすぐ近くだった。
「もしかして私たち、ベトナムですれ違ってたかも!?」
ケタケタ笑いながら小さなスマホを一緒にのぞきこみ、Googleマップを拡大したり回転させたりしながら、私たちはホーチミンの街の脳内散歩を楽しんだ。
私たちがいたブハラのレストランは、地元の人で賑わっていた。私はプロフという中央アジア風のピラフを、彼女はシャシリクという肉の串焼きを頼んだ。「肉は元気の源だから」とキム嬉しそうに笑う。
「ねぇ、日本では、焼肉をたくさん食べる女の子はかわいくないって言われるって聞いたんだけど、ほんと?」
どう答えるべきか迷ったけど、「そう考える人もいる、残念ながら」と正直に答えた。遠い昔、クラスのお調子者に「大食い」とバカにされた記憶が、うっすら脳裏をかすめる。だけどもう、そんなこと気にしない。
「私たちはたくさん食べましょうね。ほら、ぽんずも遠慮しないで、お肉食べて!」
キムが元気よく、串焼きを私のお皿に分けてくれた。ジュージューに焼けた赤身肉と、もりもりのプロフを分け合って食べた。
しかし、ひとつ気になっていることがあった。
話の中でキムは何度か、ベトナムの首都ホーチミンのことを「サイゴン」と呼んだ。
ご存知のとおり、かつてはベトナムの首都は「サイゴン」という名前だった。ベトナム戦争が終結し、国民的英雄であり革命家のホー・チ・ミン氏の名前をとって「ホーチミン」と改称した。
「サイゴン」が「ホーチミン」になったのは、1976年のことだ。
ふしぎに思い、キムに尋ねてみた。「ホーチミンとは呼ばないの?」
「サイゴンという名前には、とても、とても長い歴史があるの。ホーチミンは政府がつけた名前だしね」
柔和な彼女の強いまなざしに驚いた。
駅やお店の名前としては「サイゴン」は使われているけれど、街の名前としては、Googleマップにも、ガイドブックにも、もうどこにも「サイゴン」が使われることはない。
「ベトナム戦争が終わり、サイゴンはホーチミンになりました」10年前の私は、なんの思い入れも感慨もなく、ただ事務作業のように暗記していた。当時の私にとって、それは教科書一行ちょっとに満たない出来事だった。
「教科書一行分」の出来事の中では、生身の人間が生きて笑ったり泣いたり葛藤したりしていたのだと、当たり前のことを知った。いくら受験勉強で「サイゴンはホーチミンになった」と暗記しても、そこに住む人たちの気持ちはわからない。
今日もキムは、夏のように熱い日差しが照りつけるサイゴンの街にいる。
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