中田裕二と10年

椿屋四重奏解散後、ソロデビュー10年ということでお気持ちをまとめていきたい。

ごめん、過ぎてもうたので生誕祭記念に。

彼との出会いは丁度10年前、

人生ではじめて出来た彼氏が聴いていた。初期の椿屋は艶ロックなんて言われていて、少し和のテイストが入った音楽が彼は気に入っていたのだと思う。恋というものは不思議なもので、相手のことを少しでも知りたくて躍起になる。そんな1ページに過ぎなかった。ご丁寧にCDを焼いてもらい、オリジナルのプリントを施されたそれらを1年の交際の後にすべて処分してしまったことが悔やまれる。

初めてきいた曲は「かたはらに」丁度解散直後に知ってライブに行けないのが残念だな、そんなことを思った。

そして震災が起きる。被災地ど真ん中にいた私たちは、電気も水もなく、必要なものを求めては並び、音楽を聴く余裕すらなかった。気づかぬうちに、我慢を重ね、心はすり減っていった。震災直後の生活から少し経った頃だったろうか、当時の流行とも言える震災復興ソングが”中田裕二”の名義で動画サイトにアップされる。

「ひかりのまち」余震に怯える日々を、更地になった海沿いを、がれき収集場になった公園をながめ、うっすらと潮の香りがする、途方もない、先の見えない未来に、どれだけ勇気づけられたろう。家族、友人、周りの人も被災し傷ついていて、そう簡単に甘えたり吐き出すことは容易ではなく、縋るもの。そんな各々がひっそり持っている宝箱の中にそっとこの曲を入れていた。

それでも一度は手放そうとした。彼氏と破局後、友人としても関係が上手くいかずすべてを清算したかった頃があった。その最後にとライブに足を運んだのは仙台Rensaの2015ツアーbitter sweetだった。颯爽と上手から出てきた1曲目。

気づいたら涙を流していた。充実した2時間を過ごし会場から吐き出されていた私は。推すことを続けることを決めた。

そこからはたしかレーベル移動で地道にインストライブをしていたころと時期が重なるはずなのでライブには積極的に足を運んでいた

好きな曲はバンド・ソロ問わない感じで羅列したい。

初めて聞いた「かたはらに」椿屋イコールで私の脳内に刻み付けられている。時を同じく堀さんと宮村くんを当時の彼氏から勧められて、ホリミヤを見ながらこの曲を聴いていたのでパブロフの犬まである。

「いばらのみち」「恋わずらい」この辺は椿屋の代表曲だろう。好き。彼の世界観というかちょっと浮世を突き放した感じのテイストが現世に馴染めない私との共感性が高かった。というか、恋わずらいの吹き出しの~の考察はいまだに物議をかもしていると個人的には思ってる。射精の話なわけがあるか。

「誘惑」えっっっちですよね~~。リアルではそんなこと一ミリも思わないけど、度胸付けたいときとか、空想の世界として大変楽しませていただいております。


忘れられないのは「ひかりのまち」何度もこの曲に助けられた。

心と体がばらばらになって、幸せは掬っても手のひらから零れ落ちた。社会的に役に立たず、自らの存在意義は見出せなかった。そんな時に。ライブで聞くことが出来た。もう一度、頑張ってみようと思えた。わたしにとって大切な曲だ。また、三月近辺のライブや仙台・熊本のライブでは絶対にセトリに入れて欲しい。お願いします。

彼の人間性。彼という人間は自信家でめんどくさく、正直、自分の周りいるとしたらちょっと仲良くなれている気がしない。一回若い頃のライブトーク映像かなんかでドン引きした記憶がある。しかし、その欠点を上回る楽曲の才能と母性を引きつける能力。それに私たちは推さざるを得ない状況を作り出されていると言っても過言ではない。

仙台というまち。才能を生み出したと言える始まりの土地。蛇足だがtour16 LIBERTYライブトーク内にて彼の実家が明言されている。これいくらネサフしても見つからんしモラル的にもネットの海に投げちゃいけんから黙っておく。そして私の生まれ育った町だ。適度に田舎で東北最先端は間違いなくここ。東京にも行こうと思えば新幹線も高速バスもある。空港も主要駅直通30分で行ける。空気はうまい、暑すぎず、雪はさほど振らず、風はバカ強い、落ち葉で電車とまる。ご飯もおいしい。米も野菜も魚も。牛タンは地元民そうそう食べないしニュージーランド産だけど。海も山もあって、海水浴も釣りもできてスキーも登山もできる。MACANAやJUNK BOXは地下にあってRensaは8Fにある。仙台っ子ラーメンやそばの神田はソウルフード。大好きな町。

そんな街を愛してくれている。彼をやはり推さざるをえないのである。

生活は続く。その中に彩りを勇気を与えてくれる芸術。

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