作りたいor作れる
いまは、昼休み。
この頭の中をグルグル回っている悩みをどこかに発散したくて、残り20分の昼休みのうちに書き切ろうとタイピングしている。
わたしは最近というか長年、”何か”に悩んでいる。
その何かが自分でもわからなくて、頭の片隅に硬くしこりのようなものがあって、でもその実態が自分でもわかっていなくて、
だから、その”何か”を見ないふりをしながらも、違和感と一緒に過ごしてきた。
最近、わたしのタイムライに流れてきたtweetが目に入った。
それがこのツイート▼
美大生の多くは「何かを作りたいから」ではなく「何かが作れちゃうから」入学してくる。だが、絵が上手くてすんなり入ってきた学生の多くは「オーケー、それで君は何が描きたいの?」と訊かれて初めて、自分には特に何も描きたいものがないことに気づく
あぁ、これだよ。これなんだよ。
わたしが、違和感があった”何か”は。
「わたしは、いつも作りたいと思っているだけなんだ。」
ずっと作りたいと思っていた。
でも作りたいと思っていただけ、何も作れてないんだ。
さきほどのツイートは、「絵が上手くてすんなり入ってきた学生」とも書いてある。
わたしに例えると、絵も上手にかけないけど、ずっと作りたいと思い続けている人。努力もしない、作る方法をひたすらに探している人にすぎないんだって。
わたしと絵が上手な人の間には、頑張って登らないといけない見えない壁があって、作れてしまう人との間には、もう壁とかそんな次元ではない隔たりがある。(ように感じる)
ツイートの続きには、
誰かに聞いてほしい「メロディ」を持ってる学生には、どう歌ったら伝わるか、どう構成を工夫するか、編曲でどう伝えるか… いろんな助言ができる。だがメロディを持たない学生には、かける言葉がないのだ
とも書かれていた。
その通りだと思った。
わたしには、すっぽり「メロディ」が抜け落ちていたのかもしれない。
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