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おねえさまがたを想って

おげんきかしら?
まきむらよ。

月のきれいな季節になってきましたね。あなたは今日の月、ご覧になっているかしら?あなたのいらっしゃるところは、月の見えるお天気かしら?

わたしが働く海辺の町は、お盆明けで海水浴客も減り、台風が過ぎて波も静かになり、とっても、しーん、としています。

しーんとした夜に、小さな灯りだけつけて硬筆の練習をしたり、

ごはんを食べたり、原稿を書いたり、和服を着てお香を焚いて日本酒を飲みながら月と海を見たりして過ごしています。

こうして、わたしが、自分の家に住み、自分の身の回りの家事をやり、自分が生活してお酒や本を買えるだけのお金を、自分が個人事業主として営む文筆業でいただけているこの現代というのは、まったく、ほんとうに、昔の女性たちがどれだけ痛切に望んだ未来だっただろうかと、まいにち、まいにち思います。

「みんなちがってみんないい」と書いた金子みすゞさんは夫に執筆を禁じられたし、「放浪記」を書いた林芙美子さんは「お金がなさすぎて原稿用紙や文具を買えなくて満足に書けない」というようなことを書いているし、また「放浪記」自体も「好き勝手やるわがまま女を主人公に据えた話でけしからん」っていうことで一度上演禁止になっているしね。人が知り、考え、書き、話す自由が、身分や性別やお金のことでどれだけ制限されてきたかということを、この頃はいつも噛み締めながら読み書きしています。

今日は性教育についての原稿を書いていたのだけれど、たとえば、この方。

マリ-ルイーズ・ジローさん。フランス映画「シェルブールの雨傘」で有名な港町、シェルブールで、海軍の軍人の妻として、また二人の子供の母として、第二次世界大戦期を生きていたひとです。

第一次世界大戦後、大きく人口を減らしたフランスは、「中絶を国家反逆罪とする」という決まりをつくり、望まない妊娠をした人にまで出産を強制しました。でも、出産で母体に明らかな危険が及ぶとか、養えないとか、まず本人が暴力を受けているとか、いろいろ、産むことのできない事情ってものがある人もいるわけよね。そういうわけで、中絶をせざるを得なかった人を、マリ-ルイーズさんは手助けしていたんだそうです。

それが国に見つかって、1943年、ギロチンで処刑されてしまったんですって。1943年って、ねえ、わたしのおばあちゃんが生まれた少し後くらいじゃないの! 人の歴史が、こんなにも生乾きの傷を抱えたものだったなんて、知ってはいたつもりだったけど、学校の性教育で避妊や中絶について習っていたわたしもマリ-ルイーズさんのことは知らずにきていたなって思った。

それから、オランプ・ドゥ・グージュさん。

このひとは、フランス人権宣言を読み、フランス語の「homme」という単語が「男性」と「人間」を同時に意味する単語であったことから、「フランス語でいう人間の権利、って、男性の権利、とも読めるじゃないの。女性はどうなってるの、人間扱いされてないの」と気がつき、フランス人権宣言の「homme(男性/人間)」という部分を「femme(女性)」に書き換えたパロディを作った作家です。

フランス語に残る性差別は根強くて、「femme(女性)」ってそのまま「妻」をも意味する単語なのよね。男性については「homme」が「人間」と同時に「男性」を意味し、結婚すれば「mari(夫)」という専用の単語が用意されているのに。男こそ人間(homme)であり、女はただその妻(femme)である。というような価値観になっているというわけ。(現代フランス語ではちょっとずつ改善が試みられているけど)

女だって人間だ、ということで、オランプさんはこういう皮肉を書いたんだって。

「女性には処刑台にのぼる権利がある」

当時は参政権が認められていなかった女性だって、男性と同様に人間であり、社会の構成員であり、政治的発言権があって良いはず。政争に巻き込まれて処刑台にのぼる権利も、政治的発言をするために演壇に登る権利も、女性にだってあるはずだ。と書いたわけ。

そしたら本当に処刑台に送られちゃったのね。

「女性だって人間だ」って言ったせいで殺されちゃったの。

わたし、もう、本当に悔しくて、悔しくて。マリ-ルイーズさんは75年前、オランプさんは225年前にもう処刑されてしまっているわけだけれど、今からでも助けられるんじゃないか、どうにかしてギロチン台のまわりでひと暴れしてやれないか、なんて人類は愚かなんだろう、いったいなんでこの人たちが死ななくちゃならなかったのかって、本当に、悔しくて悔しくて悔しくてたまらない。

女とされて生まれたわたしも、教育を受け、文筆業に就き、避妊や中絶など性にまつわる知識を得ることができ、投票にも行けて、そして、女を愛することができる。そうやって生きている今が、どれだけの先人たちの戦いの上にあるものか、って、本当に、思うのね。

人間の人間としての自由のために戦った人たちは、もちろん、女性だけじゃないし、フランス人だけじゃないし、昔の人だけでなく現代の人だってそうなんだけれど。

そして、歴史の上で消されてしまった人たちも、きっとたくさんいるんだけれど。

それでも、オランプさんや、マリ-ルイーズさん、金子みすゞさん、林芙美子さん、顔と名前とその生き様が今の世にも伝えられている、おねえさまがたのことを想うと、なんだか、どんなに悔しいことがあっても、どうにか生きていけるような、どうにか継いで生きたいような、そんな気がするのでした。

……そんな、今日の日記でした。読んでくださってありがとうございました。あなたはどんな一日だったかしら? この記事は全文無料なんですけれど、この記事を買うかファンクラブに入っていただくと、コメントをやり取りできるし、わたしが書くものをお金で曲げられることなく独立性を保ちながら勉強して書いていくための大きな支えにもなります。なんかこう、ぶち壊しかよ!っていう気もするけれど、めしをくってお家賃払って生きていかんと書けんので、もしよかったら、応援よろしくお願いいたします。それから応援してくださる方、いつも本当にありがとうございます。

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