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さよなら、マリア


2023年5月4日、

突き抜けるように空が青く、

暑い暑い晴れの日、

マコたちの母マリアが36歳で急逝した。



その日私は、食あたりで体調が悪く、家にいた。

次の日、体調は悪かったけど、何となくみんなに会いたくなって集落に行くと、近所のママたちが私に駆け寄ってきた。

何事かと思って聞いてみると、彼女たちの口から出てきた言葉は、

「マリア、ヤラプーエ(マリアが死んだ)」

マリアが亡くなった?
いやいや、そんなはずない。
先週会ったばかりで、元気だった。
私のキニアルワンダ語が乏しいんだ。

「もう一回、ゆっくり説明して」

彼女たちは、身振り手振りを交えながら、一生懸命説明してくれた。

それでもどうしても、

「マリアが死んだ。マコとガソレ、赤ちゃんはここにはもういない」

としか言ってるようにしか思えなかった。

ふと近くを見渡すと、ベビは他の子どもたちと遊んでいる。他のきょうだいは、いない。

背中に嫌な汗が流れた。

今起こっていることを、ちゃんと知りたい。

私は英語の堪能な友だちを呼び出し、もう一度全てを説明してもらい、膝から崩れ落ちた。

マリアは、自分の親の看護で病院に行ったが、そこで咳が止まらなくなり、翌日息を引き取った。

その場にいた生後2ヶ月の末っ子は、マリアの親族に引き取られた。

マコは、実父に引き取られ、ウガンダへ向かっている。

ガソレは隣の村で引き取られる。

ベビは、ここに残る。


何もかもが、信じられなかった。

マリアの死が悲しくて、孤児になってしまった彼らの事が心配で、マコと会えないことが悲しくて、頭がぐちゃぐちゃになった。


それでも家に帰る気にはならず、ずっとベビを抱きしめたまま泣いていた。


しばらく経って、ベビは私の膝を離れ、元の家に入って行った。

追いかけて見てみると、鍋を引きずり出してきていた。

「ウイ、テカ イブルジョ(優里、ごはん作って)」と言ってきた。

いつもなら、マコとガソレが枝を集め、火おこしを始める時間。

室内に残された鍋には、調理された豆と芋が、食べかけの状態でたくさん残っていた。

私は涙が止まらなくて、ベビに返事ができずにいた。

すると、
「ウイ、ママーイ ヤグゼ インヘーベ(優里、ぼくのママが椅子を買ったよ)」と自慢げに教えてくれた。

少し前まで、家具の一つもなかったこの家。

ついひと月ほど前に、マリアが木のベンチを買った。

子どもたちはそれが嬉しくて、自慢で、いつも私が来ると自慢して、座らせてくれていた。

私は、「そうだね、いいねえ。」と言いながら、ベンチに座り、ベビを抱いた。

すると近所の他の子がベビに、
「マリア ヤラプーエ(マリアは死んだよ)」と言った。

ベビはそれを聞いて、私のほうを向き、
「ウイ、マリア ヤラプーエ」と繰り返した。ニコニコしながら。


ベビは、まだ3歳になったばかり。
死というものがどんなものなのか、理解できるはずがない。


でも、いつか、ママがずっと帰って来ないことに気づく。

その時ベビは…


色々なことに耐えられなくなり、また明日来ると言い、家に帰った。


泣くことしかできなかった。


何が一番辛いのか分からなかったけど、すべてが辛く、一睡もできないまま朝を迎えた。


その次の日のことも、色々書きたいけど、疲れてしまった。


ただ、その後色々と状況が変わり、

マコと赤ちゃんは、元の家の近くの家に引き取られた。

もう二度と会えない覚悟だったから、再会は本当に嬉しかった。

比較的余裕のある家庭らしく、綺麗な服を着せてもらい、赤ちゃんも哺乳瓶でミルクを飲んでいた。

ガソレは、私の家から、歩いて30分ほどのところに引き取られた。

あまり裕福ではなく、友だちもいない場所。

すごく寂しそうにしていたけど、会いに行ったら喜んでくれた。

ベビは、元の家の隣の家に引き取られた。

綺麗に洗われて、そこの娘のお下がりのワンピースを着せられていた。

ガソレは心配だけど、他の子たちは、前よりもずっと良い環境に移った。

きょうだい離れて、母と死別して暮らすことが、どれほど悲しいかはわからないけど。

ベビと赤ちゃんの実父は、元の家で一人で暮らし続けている。

仕事もなく、アル中のため、育児能力がないと判断されたらしい。

それは、良かったな、と思った。






マリア、あなたの人生は、幸せだった?

経済的には恵まれず、でも子宝には恵まれたね。

赤ちゃんを産んで帰ってきた日、マコとガソレ、ベビは本当に嬉しそうにあなたに駆け寄ったね。

赤ちゃんをあやすあなたは、予想外に幸せそうで、母親の顔をしていたね。

私がYouTubeで流す、子ども向けの動画に本気で笑っていたね。

何回も、私に怒られたね。

でも何回も握手して、一緒に飴舐めたね。

私が暴行された時、肩を抱えて、慰めてくれたね。

人生の最後に、うるさい日本人と友達になれて、ちょっと楽しかった?

赤ちゃん産めて、よかった?




溢れる思いや、書きたいことはたくさん、たくさんあるのだけど。


文章がまとまらないので、取り急ぎご報告を。


私は、大丈夫です。

彼らへの愛は変わらないので、これからもできる限りのサポートをしていくつもり。です。

では、変な感じだけど、おわり。

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