過ぎ去った苦難は美化されるのでよくない/たのしいしゅうまつ

仕事とかもろもろ一区切りついたところなので日記を書きます。

ここ三週間ほどの話。

担当業務の突発的な繁忙期と重なっていた地獄のような社内技術発表会をなんとかこなした。発表会前日に資料の上司承認がようやく出て、そこから発表練習をしたのだけど、まあ酷かった。僕はもともと喋りが苦手なので、原稿も作っていない資料をその場で説明するなんて高度なことはできない。

上司①、上司②、先輩①、先輩②がいる前で発表練習をしたとき、みんな口には出さなかったものの、頭を抱えた様子で僕の練習を聞いていた。もちろん一番頭を抱えたいのは僕だったけれど。上司は本来なら説明の仕方などについてあれこれ議論したかっただろうけれど、僕の発表は到底そのレベルに到達していなかったので、その場は「明日の本番までに家で一万回練習してきて」と言われて終わった。その日は家に帰ってから三時間ほど仮眠をとって、あとは朝までひたすら原稿づくりと暗記をした。本当はいつまでも暗記することに頼ってはいけないと思うけれど、情けないことにそうするほかなかった。

翌日の発表会は、原稿の暗記が功を奏して驚くほどにうまくいった。上司からは「若手の発表では一番、完璧に近い発表だった」との評価をもらった。先輩からは「今だから言えるけど、昨日はあの場にいる全員がどうしたものかと頭を抱えていた」と言われたので、きっと発表が始まるまでは本当に誰も期待していなかったんだろうなと思って笑ってしまった。

発表会が終わって、一時期に比べると肩の荷ががくんと軽くなった。それと同時に、達成感のようなものを感じている自分に気が付いて、それが気持ちが悪かった。「結局原稿の暗記に頼ったくせに、何を達成感なんて感じているんだ」という気持ちもあったし、さんざん自分を苦しめ、崖まであと一押しというところまで自分を追い詰めてきたこの重荷を「いい経験だった」と片付けてしまうのは、過去の自分に対する間接的な暴力のように思われるのだ。だから、死にかけた過去の自分へのせめてもの弔いとして、僕はこの苦難が苦難であったことは忘れてはならないなと感じた。

この土日の話。

金曜の仕事が終わってから、深夜の高速バスに揺られて大阪に遊びに行ってきた。日曜の朝に仕事の用事があったので、日帰りのとんでもないスケジュールになった。

高速バスのメリットは運賃が低めであることと、飛行機よりも便数が多いこと。片道 6 時間半ほどなので、バスで眠れば宿代も必要ない。とはいっても、リクライニングをほとんど倒せないバスの座席ではほとんど眠れなかった。短い居眠りを何度もしたが、その時間を累計しても 1 時間にも満たないだろう。

道頓堀のグリコサイン

大阪での予定は、ツイッターで長いこと仲良くして貰っている方々とのオフ会(死語?)。なんば、道頓堀、日本橋など大阪らしいところを歩きつつ、たこ焼き・串カツなどの大阪らしいものをことごとくスルーして寿司、カオマンガイ(タイ料理)、塩パン(愛媛県発祥)などを食べる暴挙。ふだんツイッターで見聞きするような話をする友達が身近にはいないので、話を聞いているだけで面白かった。

美味しかったタイ料理のカオマンガイ。パクチーはちょっと苦手だった。

累計で 2 万歩以上歩いたらしい。2 万歩とは距離換算でおおよそ 15 km だ。歩き疲れた後に飲むビールは美味しかった。

大阪を満喫した後は、また深夜の高速バスに乗って愛媛に戻った。さすがにヘトヘトだったので高速バスでもいくらか眠れるだろうと思っていたけど、高速バスの寝心地の悪さはそれをはるかに上回っていた。

この日の用事は、仕事に必要な資格試験の受験。この資格は「危険物取扱者 甲種」といって、石油化学メーカーに勤める会社員には割と馴染み深い。エッセンシャルな化学物理の知識と、消防法危険物の法令に関する知識が問われるけれども、とにかく法令は暗記が大変だった。調べれば 5 秒で分かるんだから暗記する必要ないだろというものが非常に多く、実務的に必要というよりも合格率を絞るために作られているのではないかと勘ぐってしまう。実際、危険物の取扱施設を作るときに、法令をそらんじて設計する人間がいるわけないだろうに。

この資格はだいたい 60~70 時間ほど勉強すれば合格すると言われていて、配分としてはその大部分が法令を暗記する時間に費やされるのだと思う。僕は直近まで他の仕事が忙しかったこともあって累計 10 時間くらいしか勉強できていなかった。10 時間かけても参考書を 20% くらい目を通せたというくらいだった。

幸いにも、高速バスで愛媛に戻ってから試験開始までの時間が 3 時間近くあったので、マクドナルドで朝食をとりながら、眠気に耐えつつ、残りの 80% を猛スピードで流し読みした。

結果、合格か不合格かは怪しいところだけど、勉強した時間を考えたら出来すぎなくらいだった。よくないけれどこういう期日ギリギリに出る瞬間火力に頼ってしまいがちだ。ともかく、結果はどうあれ、不合格だったとしても次の試験は 10 月まで無いので、この件についてはしばらくゆっくりできると思いほっとした。

試験会場を出るときに、大学の頃の同期によく似た姿の人を見かけた。この辺りに住んでいる人でもないし、他人のそら似だろうか?と思っていたら目が合って声をかけられた。話をすると同じ試験を受けていたらしい。様々な事情で会社近くの会場で受験ができず、遠くの試験会場に割り振られたとのことだった。

ちょうどお昼時だったので、せっかくだからと一緒に昼食を食べながらお互いに近況を話した。お互いに石油化学メーカーに勤めているというところまでは知っていたけれど、細かく聞いていくと業務内容もかなり近いことが判明した。原料こそ違うけれど、同じような機械・設備を使って、同じような形状の材料を作る仕事をしていた。そんな技術者はきっと国内に 300 人もいないレベルだろうと予測されるので、とんでもない低確率、あるいは世間が狭いというべきか。

そんなわけで、仕事で抱えている悩みや不満はお互いに共感できるものであったし、会社の同期よりも付き合いは長いから、終始心地よく会話を楽しめた。資格試験は面倒だったけれど、貴重な再開を果たせて今日はいい日だったなと思った。総括してとてもいい土日、週末。

無印良品(大阪)で見かけたマイメロみたいなワッフルメーカー

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