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私たちが普段使っている言葉は「悲劇的」な表現になりやすい。

こんにちは、カウンセラーのyuriです☺︎
ご覧いただきありがとうございます。

今日は、わたしたちが普段使っている言い方や表現の仕方は「悲劇的」になりやすいということについてお話をしたいと思います。

前回のブログで「私たちにはそれぞれ願いというものがある」というお話をしました。その願いは満たされるときもあるけど、満たされないときもあります。でも多くの場合、私たちは親や他の大人たちから「悲劇的な表現」しか教えられて来なかったので、その表現しか知らず、自分もその大人たちのように「悲劇的な表現」をしてしまい、願いが叶うどころか相手との繋がりが分断されてしまうこともよくあるのです。

例えば彼に電話をして「会いたい」と伝えたところ、「仕事だから」と断られた場合、「私のことなんて愛してないのね。あなたってほんと仕事人間ね。」と伝えても彼は彼女の願いを叶えてくれる可能性は低いでしょう。
また別の例で、部屋のあちこちに散らばった本やおもちゃを見てお母さんが子どもに「もう、こんなに散らかって… 遊んだら片付けなさいっていつも言ってるでしょ!」というよく聞くフレーズ。(わたしも昔よく親から言われました。笑)

こちらの場合は子どもはしぶしぶ片付けを始めるかもしれませんが、これらの表現で思いを伝えた後、あなたの中ではどんなことが沸き起こってきますか?
「あんな言い方をするんじゃなかった…」「なんであんなことを言ってしまったんだろう」と反省や後悔をしたり「私って鬼だ…」「私は酷い奴だ」と自分を責めたりすることがあると思います。

実は「悲劇的な表現」をするとき、無意識のうちに私が傷つかないように、悲しまないように、と私を守るために必死になっている自分がいるんです。とは言え、いつまでもそんな言い方を続けたくないという方もいらっしゃいますよね?

外国ではそうでもないのですが、残念ながら日本人は「その人の言葉や意見」=「その人の人格」と捉えられてしまうことが多いんです。話し方で「あの人は冷たい」とか「あの人は意地悪だ」と判断したことはありませんか?

だからこそ「悲劇的な表現」を使い続けるのか「建設的な表現」を使うのかの差はとても大きいのです。

次回はこの続きをお話したいと思います。
お楽しみに✨


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