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3.11の記憶

2011年3月11日は、東日本大震災が起こった日。
1995年1月17日の阪神大震災も7歳だったし、記憶にあるけれど、私にとって「じぶんごと」として強く印象に残っている震災は東日本大震災。
なんで、「じぶんごと」になっているのか、毎年どんなことを考えているのかを貯めておきたく、まとめnoteを作りました。
できる限り、毎年更新していきたい。

1)2022.3.11のこと(発災から11年目)

2)2019.3.11のこと(発災から8年目)

【勝手にTRY kamaishi インターンシップ1日目】(facebook投稿から転記)
なんとなく、日報代わりの投稿を
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■インターンでの目標
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・DEEPな釜石を知る、出会う
・自分の心のささくれをちゃんと察知する================================
■3月11日 日報
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11:30 いわて花巻空港到着
12:00 マルカンデパート大食堂でごはん
14:30 宝来館で「こよみのよぶね」に参加
15:30 うのすまい・トモス プレオープン参加
20:30 あずま家にて鍋パ&タコパ(これから)================================
■ 本日の学び・気づき
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・地元でストーリーを語れる場所があるのは、地元肯定感をあげる(再認識)
・物販をじっくり見ることで見えてくる風土がある
・釜石花巻道路の全通は近隣の人の生活を変えそう
・わー!うのちゃんいるー!と言ってくれる人がたくさん
 →「ただいま」と言える場所にもなるのか…!釜石!
・3.11はやっぱり特別な日
・つながりは探せば見つかるし、探さないと見つかりにくい
・自分がいまここにいられることにちゃんと感謝する
・震災の話を聞く、見る、読むと涙が出る、どうしても
・面白がれる人になりたい(嫌いを少なくしたい)
(・鵜住居という地名が呼ばれるたびに、名前を呼ばれたかと思って反応しがち)
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■ 感じたこと
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3.11という日は、たくさんの悲しいことがあった日。
でも、それを胸に立ち上がった、たくさんの勇気が生まれた日。
あの日は、私の明日かもしれない。
平和な、平穏な日々に心は慣れてしまいがちだけど、ぬるいことばかりしてられないなって背筋がぴんとした。================================
■ 雑記・所感
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釜石に最初に訪問した時、一番印象的だったのが、「宝来館」のおかみさんのお話。その宝来館に、2年半後の3.11という日にいられたということ、そして、その場所に、「うのちゃん!」と声をかけてくれる温かい人たちがたくさんいてくれたこと、とてもとても感慨深かった。
(なんだか言葉にすると薄っぺらくなっていやだな)
2年半前は、初釜石だったし、Career forも初合宿だったし、借りてきた猫感で、よそ者感たっぷり。
でも、たくさんの声をかけてくれる人がいた今日。
私の釜石との関わりが、この間に格段に変わったんだなという事実にも改めて気づいたし、それがなんだかくすぐったく心があたたかくなった。
明日からも思い切り楽しもう。
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■ 今日の脳内BGM
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夢番地 by RADWIMPS

3)2018.3.11のこと(発災から7年目)

【3.11】(facebook投稿からの転記)
7年目の今日。銀行員2年目@名古屋 栄。
地震のあった時は、ちょうど窓口でお客様の対応をしてた。
週末、金曜日の14:46。疲労のピークだったことを覚えてる。
震度4の名古屋にいた私には、東北に起こったことは、どこかちょっと遠くの世界で起こった出来事のように思えていた。

その日から7年。
前職で福島県を担当させてもらったり、復興を中心で担ってきた方々と一緒にプロジェクトをさせてもらっていたり、大好きな人たちがいる場所になっていたり、当時の私では考えられない東北との繋がりが生まれています。

今日も、facebookのタイムラインには3.11の話題がいくつも流れていました。

今年は石見銀山でコーヒー屋さんのお手伝い。
14:46になったら、ひとり静かに黙祷。
周りはそんな雰囲気なく、日常が広がっていたけど、それも良い。
それぞれの暮らしに大切なものがある。

『私たちの暮らしがあるからこそ世界に誇れる良いまち』

この文がある、大好きな住民憲章のある大森町でこの日を迎えられて、私はなんだか心が温かくなりました。

諸行無常なので、変わらないことはないけれど、
これからも、幸せな瞬間がひとつでも多く、
それを重ねられる人がひとりでも多く、
続いて、生まれていきますように。
一瞬一瞬を大切に。

4)2016.3.11のこと(発災から5年目)

【好きな人】(facebook投稿から転記)
毎年、この日に投稿しようとしてできないこと。

飲み会終わりだからこそ、
深く考えず書いてみる。
2011年と同じ、金曜の3.11。

福島のこと。
真実はなにかわからないし、そこに言及するには知識が足りなすぎる。

でも、私はリクルートでのお仕事で、
1年間福島の高校・高校生と向き合った。

誰がなんと言おうと、
いま、福島にいる人たちが大好きだし、大切。
だから、今の福島が私は好き。

この日に福島で過去にあったことだけではなく、
福島に今、生きる人に想いを馳せられる日だといいなぁと思う。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!