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コロナ禍で感じる人の命ーお餅と経済と新型コロナー

※以下の内容は個人の感想を羅列したであり、だからどうしよう、どう行動しようというような啓蒙を意図したものではありません。承諾を得た上で個人情報の流出には留意して記したが、個人の特定などの詮索はお控えください。

この文章を目にする人の中には親しい人をコロナウイルスで失った人もいるだろう。

とある知人が年明け意気消沈していた。親しくしていた人が亡くなったらしい。死因は新型コロナとのこと。一週間経ってやっと立ち直ってきたと連絡があった。
知人は副業としてイベント開催を常とする、いわゆるイベンター。2020年も毎月毎週のようにオフラインのイベント開催を続けていた。
通常個人がやってきたことと人の死に対する悲しみは分けて考えるべきかもしれないが、オフラインイベントはクラスターの発生という形でわかりやすくコロナウイルスの感染拡大の一つの要因となってきたものだ。死者の感染に繋がる経路に何かしらのイベントが存在したことは十分考えられ、知人が開催したイベントではクラスターが発生したわけではなく直接の原因ではないにしろ、その皮肉的状況を知人も理解している様子があり、私は複雑な気持ちになり、ウイルス感染対策について考えさせられた。

よく新型コロナによる死者数と、他の死者数が比較された言説を聞く。

例えば、お餅。お餅による窒息死の方が新型コロナによる死亡より多いという比較だ。
厚生労働省の人口動態調査によると、「不慮の事故」による死因のうち、食物が原因となった窒息による65歳以上の高齢者の死亡者数は、年間3500人以上。一方、コロナウイルスの国内死亡者数は2021年1月13日時点で3898人。「コロナが怖いなら餅食うな」という言説も聞いたことがある。要は、政府が煽る程死者数が本当に多いのか冷静な数字の比較で判断せよとのことなのだろう。
単純な量的比較も大事だが、目線を変えて遺族の感情を考えてみよう。大事な人がお餅で亡くなった場合は製餅会社に恨みを抱く可能性はなくはないが、食べる選択をしたのは本人で、食材の選択や調理法を後悔するのが先だろう。
一方新型コロナウイルスによる死亡の場合はそれほど単純な感情ではない。感染経路によるかもしれないがそれは直接的な要因に限定した話で、マスクをつけての外出などの感染対策をしない人をみて怒りを感じるのが遺族の感情だろう。
どんな人のどんな死に方も等しく悲しいものだが、遺族の感情の違いを例に、死が社会に与えるインパクトの違いを見出すことはできないだろうか。

新型コロナウイルス感染拡大防止策の過度な実行による経済の低迷が、自殺や餓死などの形で生み出す死者数にも目を向けなくてはならない。
何も保障せずに感染対策だけ強制すればもっとたくさん人が死ぬのはその通りだろう。ただ、経済的理由の死は、国が守り切れていないからであり、ウイルスによる病死とは質的に違う。
ベーシックインカムの問題と公衆衛生の問題を安易に混同するのは危険だ。

コロナ禍に乗じて利益を得ている人も、扇動された消費活動や税金等の形でお金を奪われている人もいるだろう。警戒し過ぎも愚かだという言説はわかる。

ただ、自分自身の命や大事な人を失って後悔する前に、自らの一つ一つの行動について熟考し責任を持っていきたいと思った。


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