2023.7.18

私は乱視でちょっと目が悪いんですよ。
それで授業受ける時とかはメガネかけてるんです。
でも大学生になるまでずっと自分が目が悪いっていう自覚がなかった。
正確に言うと自覚がなかったというよりは、自分が目が悪いという事実を認めてなかった。

私、視力って気合いの問題だと思うんですよ。
見ようという思いの強さ次第で視力って変わると思うんですよね。
視力って信じる力なんです。どれだけ自分の見ている世界を正しいと信じれるか、これが普通だと自信を持てるかどうかなんですよ。
自分が目が悪いと認めて、自分の目で見ようとする努力をやめた瞬間にみるみると本当の意味での視力って落ちていくと思う。
視力が悪いと認めることってある意味、自分の見てる世界が違ったと認めること。
そう考えてたから高校生の頃、絶対眼鏡をかけなかった。なんか負けた気がするから。
目が悪いと認めてメガネをかけることは今まで自分の目で見て信じてきたオリジナルの世界が、世間の標準的価値観によって間違いだと突きつけられてねじ伏せられ踏みつけられることだと思ってた。
だからメガネをかけたら私は負けると思ってた。高校生の頃の私は絶対に負けたくなかった。私が見て感じ取って信じてきた風景を世の中の普通の価値観に踏み躙られてたまるか!と思ってた。
視力検査も絶対諦めちゃダメ。どれだけ小さくて見えなくても「分からないです」なんて答えたらそこで試合終了。視力って見ようとする気持ちが大事だから。
見えると信じればどこまでも見えてくるものなんです。だって視力って感覚だから。
諦めた瞬間、負けを認めた瞬間、あなたは視力だけでなく自分すらも失いますよ。
だってよく考えてみてください。
視力検査の数値。あの基準って誰が決めたんですか?
誰かが決めた基準に従って生きてあなたの人生本当にそれでいいんですか?
どうして、よくわからない誰かが決めた数値を基準にして、あなたは目が悪いですなんて言われなきゃいけないんですか?
目が悪いかどうかを決めるのは自分自身であるべきだと思います。他人に決めさせるものじゃありません。
自分は目がいいと信じる限り、誰になんと言われようが信じ続けていいんです!
視力は気持ちです。見ようと思えばどこまでも見えてきます。
自分が見てる世界を通常だと自分が信じるのであればそれが通常でいいんですよね。
あなたの見るそのままの世界を信じていいんですよ!

そういうことを人々は今一度考え直すべきなのではないでしょうか?

もしこれが視力の話ではなく顔面の話だったとしましょう。
医学的に顔面の良さが数値で測ることができたとして、医者にあなたは平均よりもブスですと言われたら、整形して顔面を平均より良くしなきゃいけないってことですか?
ブスで生きることに不便を感じて我慢の限界なら整形したって全然いいと思います。
でも自分で自分を可愛いと信じている限りは誰になんと言われようが、あなたが持つ可愛いの基準を信じていいと思うんですよね。可愛いとか美しいの価値観って人それぞれじゃないですか。自分の信じる価値観を世間の標準的価値観に踏み躙られちゃいけないと思うんです。

人間はもっと自分勝手に自分基準でわがままに生きることを思い出した方がいいと思います!

だから私も明日からメガネかけるのやめてみようと思います!もっと自分を信じて世界を見ようと思います!



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