【報告レポート】ウクライナ避難者支援活動の1年を振り返って(1)
日本YMCA同盟の横山由利亜です。
YMCAウクライナ避難者支援プロジェクトでは、全国の皆様に本当に力強くお支えいただき、心から感謝を申し上げます。
2月24日、ロシアのウクライナ侵攻から1年が経ちました。
私はこれまで数多くのウクライナ避難者と出会ってきました。
今、誰もが「これほど長引くとは思わなかった。」「今でもこの先どうなるかわからない。」「元をたどれば、戦争になるとは全く思っていなかった。」「私の人生はあの2月24日の朝、変わってしまった。」と皆さん口を揃えて話します。
戦争は普通の人の人生を変えてしまうのです。
■初めに知って欲しい事
2023年2月24日現在、世界で800万人以上がヨーロッパを中心に避難、日本には約2300人が避難してきています。
みなさんはウクライナから避難して来られた方々に会われたことがあるでしょうか。
こちらが都道府県別のグラフですが、東京、横浜、大阪、福岡といった都市圏に集中しています。
避難には2つのルートがあります。
日本にいる家族や親戚、親しい友人を頼ってくる方、もう一つは日本に知り合い、身寄りがなく日本政府の審査を通ってくる方々です。
そもそも今回の侵攻前から日本で生活しているウクライナ人が約2000人おられます。その多くがバブル期とその後の出稼ぎであったり2014年のクリミア侵攻で逃げてきたりした方々です。その頃は何の支援策もありませんでしたので、厳しい生活を送りシングルマザーになっている方も多いです。
今回の戦争で彼女たち自身も生活が激変しました。
私たちの活動に力を貸してくれている方も、子ども3人のシングルマザーとして働き、生活基盤は脆弱であるのに、戦禍のウクライナから年老いた両親と障がいのある弟を受け入れていたり、単身で留学中だった20代の国費留学生が叔父一家を受け入れていたりします。
日本にいるロシア人の方で、YMCAの支援活動の表舞台には政治的なことがあって出られませんが、見えないところで翻訳や物資の仕分けなどを支えてくれている方も大勢います。
皆さんに知っていただきたいのは、YMCAのウクライナ避難者支援活動はこういった、もともと日本で暮らしている外国人に目を向け、あるいは新たに繋がり、軸足を置いて活動を進めているということ、それを知ってほしいと思い、最初にお話をしました。
■世界のYMCAの活動
さて、YMCAは世界120の国と地域にあってウクライナ、ロシアにもあります。
YMCAのウクライナ避難者支援活動は侵攻直後、まさに当日から国境付近で避難者の物資提供、シェルター提供など多くのボランティアスタッフが本当に、自発的に自然発生的に、大規模にスタートしました。
残念ながら、ロシアのYMCAは政治表明をすることで、団体存続が危機にさらされたり、スタッフやボランティアが投獄の危機にさらされるということもあって表舞台には出てきませんけれどもヨーロッパのYMCAには常にロシアやベラルーシとコンタクトをとっているスタッフがいます。
■日本の支援活動は1本の電話から
日本のYMCAの活動は1本の電話から始まりました。
自分は日本で働いているけれども年老いた母親がウクライナに一人でいる、海外に行ったこともない、パニックになっている、自分としてはできれば母親を日本に呼びたい、しかし、どうやったらいいかわからない、YMCAならグローバルなネットワークで助けてもらえるのではないかという切実なものでした。
私は「はい、わかりました」と安請け合いできるものでないということは重々わかりながら「ごめんなさい、できません」とも言えず、まず、世界YMCA同盟、ヨーロッパYMCA同盟に連絡を取ってみました。
しかし、考えてみれば、どこの誰か、数十万人単位で避難者がウクライナからヨーロッパの隣国に続々と半ばパニック状態で避難をしているところで、このたった一人のウクライナのおばあちゃんをどうやって探し出してもらうのか、そもそもウクライナの家から安全に国境付近まで移動できるのか、何一つ確かなことはありませんでした。
しかし、そういったことを聞かれもせず、打ち合わせもしないのに「わかった、こちらでサポートする」という返信をいただきました。
そして、その返事だけを頼りに、おばあちゃんは家を出たのです。
リュックひとつのおばあちゃんを乗せた長距離バスは、攻撃から身を隠すために夜間はライトを消して走り、蛇行を繰り返し、途中ガソリンが乏しくなって暖房も切られてしまう、国境の町でYMCAのスタッフとやっと合流したときにはかなり憔悴されていました。
ワイズメンズクラブのボランティアの方のお宅に滞在させてもらい温かく、もてなしていただきました。
家を出てから日本に到着するまで約2週間、まだ日本への避難者も10数名という段階、時期でしたのでこのYMCAのグローバルなネットワークで命をつなぐリレー、これはメディアにも幾つか取り上げていただきました。
その多くの相談は、日本で暮らすご家族、友人から寄せられましたけれども、時に、ウクライナにいる人たちから今ドネツクのアパートの地下壕にいて、爆撃を受けている、目の前に生後数カ月の子どもが高熱を出しているけれども薬もないし、救急車も来ない、日本に行くことはできないか、そういった連絡が24時間、私の携帯電話やメールに入るようになりました。
テレビの報道でそこに書かれているような戦火の様子を見ながら、これは大変なことに取りかかってしまったという思いにかられ、とても私はこの責任を負えないと、眠れない日々が続きました。
しかし、同僚やヨーロッパのYMCAのスタッフと、一つひとつ、本当に一つひとつのケースを連絡をとり合い、励まし合いながら、知恵を出し合って実行に移していき、このようなパイオニア的な働きが徐々に拡大していきました。
そこからスタートしてYMCAが同様にリレー形式で来日支援をした方々は165名になりました。
(2)へつづく
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ウクライナからの避難者に寄り添うYMCAの支援活動は変わらず継続してきます。
皆さまにおかれましても引き続きご関心・ご支援くださいますようよろしくお願いいたします。
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