抜けられてよかった

トラウマ的なことがあり、
また、連日の猛暑で寝つきが悪かったりしたことも重なり、身体が知らず知らずのうちに、強張ってしまっていた。(特に背面)

身体が強張っていると、悪夢を見る。
また前の教会の人たちが出てくる夢だった。

悪夢を見るから、寝ることが恐怖である。これは辛いことだ。常に寝不足だから余計に不安定になるし、だからといって日中眠いわけではない。交感神経が優位になりすぎて、悠々と昼寝もできない、これはきつい。

しかし、カルト化している教会から抜けられたのは、本当に良かったな、と思う。
今考えると、抜けられたこと自体が奇跡だと思う。

おそらく、私が抜けてから、後追いでほかにも抜けられては困ると考えた人たちの圧により、色々厳しくなったと思うので、
残された人たちは、抜けにくくなったと思う。

「自由の中の辛い日々も、カルトでの最高の日々には勝る。」

というようなことを、ある福音派キリスト教カルトから出た人がYouTubeで言っていた。

自由はある。しかしその自由の中に、セラピーを受けたり、トラウマケア、度重なるPTSD、絶望感、たまに来る希死念慮がある。

今もよく教会のみんなのことを思い出す。いや、思い出さない日はないだろう。

その中にいる人たちは大好きな人たち。今も大好きなことに変わりはないのだと思う。

だけど私は出なきゃいけなかった。私には、もう無理だった。これ以上とどまることはできない、となった。その日が来たのは、割と唐突だった。身体に現れてしまっていた。

そして、本物だと思っていた教会内の人間関係も、
リーダーがいないと成り立たない関係だったということが、
出てみて明らかになった。

こんな出来事は、一生のうちでもなかなかないことなんじゃないかな。

そう考えると、すべて尊い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?