あの人は「熱心なクリスチャンだ」と言う時の意味を考える

大体これを言う時、表向きに奉仕を一生懸命やっているとかそういうことを根拠にして、言われることが多いと思う。しかしながら、その人の信仰というのはある意味、見えない部分があり、(もちろん信仰が表に滲み出ているような場合もあるだろう。しかしながら、実際は目に見えるような献身的な奉仕などをしているところを見て熱心と決めつけるようなところが、あるあるだと思う。
例えば、熱心に奉仕をすると言う時、その動機はどこにあるのか。例えば、熱心に奉仕をしている理由が、家庭に向き合いたくないからで、奉仕などに没頭することによって、問題から避けているということもあるかもしれない、いや、おおかたそうだと思う。
そういった一見すると「熱心」と言われる人を、よくよく観察すると
家庭内がわりと大変なことになっているというのは、
気づいたことである。

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