人は悩みたいが故に悩むのか

生活をしていて悩みというのは尽きないものである。例えば晩御飯に何を作るかとか、本当に自分は生きてていいのかとか、何分発の電車に乗って出勤をするかなどなど……

そんなたわいもない悩みから深刻そうに見える悩みまで悩みというものは様々に渡る。
もしかしたら悩むことがないという悩みを抱えている人もいるかもしれない。贅沢に見えるかもしれないがそれも立派な悩みではある。

なぜって、人は悩んで考える生き物だからだ。悩んで考えずに最適化できるなら機械となんら変わらないのだろう。AIは悩んでいるふりをしているがその実、答えが真実であると100%信じ切れているから悩まないのだろう。

答えがあるという信仰は人を機械化させる。機械化したら人は最終的に虚無に落ちるような悩みしか抱えられずにきっと人として死んでしまうのだろう。
今すぐ答えを得たいという気持ちと、答えがほしくないという力の加減によって人はできている。どんなに悩みのなさそうな人でも心の底には何かを抱えていてその抱えているものと真摯に向き合っているのだろう。そういう意味で、人は悩みたいが故に悩んでいるのだと思う。

まあ、そうは言っても人は悩みたくないし決断したいと思うのも確かだ、悩んでるだけでは何も進まずに虚しい言葉遊びを続けるだけであるから。
そういう時二択ならコイントスで決めて仕舞えばいい。
もしコイントスで決めてはいけないことからならなんかこっちだ!という確信が自分の中に湧いてくるだろう。湧いてこないなら本心からはどっちでもいいということだ。
そして、コイントスの結果(もしくは確信した結果)を絶対的に信じて言い訳せずに行動してみろ。そしたら絶対にうまくいく。ここは絶対と信仰してやるといい。それは後悔しないものになるでしょう。

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