魔女の憂鬱(創作)

がらん、がらん、来客用のプチ鐘楼が揺れる。
すると面倒くさそうにツタの絡んだ竹暖簾が少し捲れて、
「いないよ」
と紫色の唇が返答した。
「おい、冗談はよせ。遠路はるばる3時間も歩いて来たってのに!」
来客は暖簾を乱暴に掴み上げようとして、飛び上がった。
「いてぇ!」
漆黒のカラスが来客の手を軽くついばんだらしい。
怪我こそなかったが、来客は地べたに座り込んだままだ。
「やめな、黒瓜。腐っても客人だ」
「し、失敬な!」
「失礼ついでだ。黒瓜、
 もいっちょ突っついとく?」
「やめてくれ!謝る!謝るから!」
「あは…」
艶やかな黒髪の魔女は、意地悪げな微笑を浮かべると、鴉の黒瓜を愛しく撫でてから窓の外へと手放した。
「で…?用件は?私が何もので、どんな依頼を受けているかは承知の上で来たんだろ」
テーブルの中央には溶け落ちた微かな蝋燭に炎がゆらめき、魔女の頬を怪しく照らしている
「人を呪わば穴ふたつ、ってね。勿論、それなりの覚悟はあるんだろうね」
薄暗い部屋にはそこかしこに蜘蛛の巣が張っている。男は魔女の鋭い眼光に圧倒されたのか、やや押し黙った。
「用件はなんだと聞いているんだよ、早くしな。私はお前の小間使いじゃないんだからさ」
話し方こそ老女のそれだが。
「妻を…」
男がようやく切羽詰まったように口を開いた。
話を聞くに、男の妻は病に罹り、手を尽くしたが明日をも知れぬ命だという。
そこで、神頼みならぬ魔女頼みとばかりに遠路はるばるこの地へやってきたと。
「あんたね」
魔女は思い詰めた表情の男に言い放った。
「死は運命なんだ。産まれてきた以上、必ずいつかは死が訪れる。皆同じだ。それをどうしてか自分だけはと願う奴らがいる。そんなの、ただの我儘じゃないか」
「見てみな、その小さな蝋燭を。それはね、私の子を弔う炎さ」
「まだ、お腹の中にいた子で名前もなかった。それでも運命はその子を連れて行った」
「私は魔女になってでも、あの子の魂をそばに置いておきたかった。分かるかい?これが、運命に背いた人間の末路さ。私は生涯、人を呪って生きることしか出来なくなったわけだ。たった一つの願いと引き換えにね。…黒瓜。あの子は、良い子だろう?」
男は言葉を失った。
「自分の子を…カラスにしたのか?!」
「あんたの奥さんは何になりたいかねぇ?魚にでもなって、きれいな水槽で泳がせてやるのもいいさ。鳥になれば、いつでも好きなところへ飛んでいけるしね。ま、あんたのとこへ帰ってくるとは限らないけどねぇ、あは」
「どうにか、方法はないのか」
「医者が投げた匙をどう拾えってんだい。そもそも、放っておいたって長くはもたないものを、そうまでして一緒にいたいものかい?」
「もういい!」
男は入って来た扉を開け、バン!と勢いよく閉めて出ていった。足音が遠ざかると、舞い戻った黒瓜が魔女の肩にとまって、ひと鳴きした。
「ああ、そうさ、傲慢な死者だね。ま、あれだけ言って分からないならお終いさ。奥さんもなかなかの曲者だったけどねぇ…、あは」
魔女は黒瓜に微笑みかけた。
「人を呪わば…」

男は死者であった。
魔女に呪いをかけるよう、
最初に頼んできたのは妻だった。

鴉は、ただの鴉でしかない。
魂はみな、約50日ほどを経て、この世から去っていく。

生命の誕生は奇跡だ。
魔女は、今日も魂の帰還を待ち続けている。
溶け落ちた蝋燭の、微かな火が消えるまで。
微かな望みが潰える瞬間まで。

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