感情を評価しない

「お布団に戻っていない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。
柿、とろとろ、あまあま。おいしい!」
「よかった」

その朝、まりかはいつものとおり4時半にコウイチにモーニングコールを入れたあと、ゆっくりと文字を送りながら原稿を書いていた。
前の日にしっかり抱きしめられた背中にも、そっと探り当てられた左手にも、彼の気配を残したまま。
彼はどうなのだろう。
きっと同じに決まっている。

コウイチは前日、たっぷり熟れた柿を朝食に食べているのだった。
今年は柿が豊作らしく、毎日のように、どこかの家に鈴生りになった柿が職場に届けられていた。
果物が大好き、という彼に、まりかは4つ手渡した。
ひとつはまだ硬いもの、もうひとつは熟れて柔らかになったもの。
あとふたつは、その日の午前中に短歌の師匠からもらったものだ。
いちばん熟れたものを最初に選んだのだろう。
彼とは食べ物の嗜好も似かよっている。

この会話のたった7時間後についた既読を最後に、彼はまりかの人生から見えなくなってしまった。


それから2週間、まりかは毎朝、同じ時間に応答のないモーニングコールをし、おはようのLINEを送り、彼の終業時間に合わせてLINEと電話を入れた。
途中からは、毎晩、メールでお便りも送った。
半狂乱だった。いや、まさに狂気の沙汰だ。

もし、彼が静かにまりかを無視していたのなら、よほど辛抱強い人なのだろう。
発狂する人を目の前にしても、まったく動じないのだから。

不思議なことに、携帯電話の電源は一度も切れていないし、LINEも既読はつかないものの、ネットで調べた方法ではブロックはされていないようだった。

わざと見ないのか、見られない状況にあるのか。
そんなの、わかりっこない。
会ったとき、一緒にいるときに救急搬送されたときに備えて、生年月日と血液型は聞いたのだけど、住所は聞かなかったことを心底悔いた。
訪ねてゆくすべもなかった。

どうしようもなくて、火曜の精神科通院のあと、帰り道にある占いに寄ってみた。
あとで調べたら、易が得意な占い師さんだったようだ。
出た卦は「天地否」。

「果報は寝て待て、ですね」
「寝て待て?」
「あれこれしないで、じっと待つ、ということです」

じっと待つ? 

「彼、きっと何かでてこられない事情ができたんでしょうね。
家族のこととか。だまされて何かに巻き込まれた、とかね」
「もうこの世にいないのでは、と思ってしまいます」
「それはないですよ。ただ、すぐには出てこないかもなあ。
連絡もそんなにしないで、待ってみてください」

生きていればいい、心からそう思った。
さるアイドルグループのセンターではないけれども、まりかのことを嫌いになってもいいから、元気に生きていて。心からそう思った。

通院の前に、彼の職場と思われるところにあてて、手紙を投函していた。
彼は少し特殊な仕事をしていて、彼が口にした市町村には該当する業種は1社しかなかったから、ここだと思うことにした。
宛先違いだったときにこんな人いませんよと連絡ができるよう、封筒にはまりかのリターンアドレスと一緒に、まりかの携帯番号も書いておいた。

今日は木曜日、火曜に投函した手紙は、郵便事情が悪くなっても今日には着いているはずだ。
でも、彼からのLINEも来なかったし、会社から苦情の電話も来なかった。
迷惑メールもチェックしたけれども、それらしきものは見当たらなかった。

心のどこかで、あの手紙が到着したら事態が動くのでは、と期待していた。
まりか、ごめんごめん、と電話が来るのではないか、と。
期待するまりかは、おばかさんだと思った。
賢い人はこんなことしないのに、と、思った。
スマートな人はしつこくしないのに、と、思った。


でも、決めたんだ。
自分の感情を評価しない、と。

おばかさんでいいじゃない。
しつこくていいじゃない。
まりかは、コウイチに会いたいのだから。

連絡が来なくて、さみしいのだから。
連絡が途絶えて、くやしいのだから。
連絡がなくなり、不安なのだから。

期待してばかみたい、と思うのはやめよう。
期待したいだけすればいい。
自分の感情を評価しない。
そのまま受け入れる。
さみしいのも、くやしいのも、不安なのも。

コウイチに嫌われたと認めたくない、この気持ちも。

昨日と今日、連絡をせずにすごすことができた。
拷問のようだ。
次に連絡を入れるのは、こないだ会ってからぴったり1か月の11月25日と決めている。
奇しくも、まりかの妹の命日だ。


さくらまりか51歳、それでもコウイチとまた、無邪気にじゃれることができると信じている。
おばかさんである。

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