アプリの出会い 本名はいつ名乗る?

「ふつう、会ったら名前を言いますよね?
私は本名を名乗りました。
まりかさんという名前だと思っていましたが、違ったんですね」

LINE交換をしたばかりの、やんちゃな瞳のトモヒロさんが、いつになく饒舌だった。
理由は、2週間前にお目にかかったとき、私が本名を名乗らなかったから。

そもそも、LINE交換が不自然だったのかもしれない。
最初に言い出したのは、彼。
日曜の夜だったか、明日にでも通話しましょう、と言ってきたのだった。
でも、それきりLINEの話は出てこない。
やりとりのペースがゆっくりだったのにやきもきして、昨日は私からLINEの方が連絡が取りやすいですかとたずねたら、IDを教えてください、と彼が言ってきた。

何となく、IDは男性から教えてきて、女性がアクセスする、という思い込みがあったから、まりかは面食らった。
一度、お会いしていて、減点はたくさんあれど、信頼できない人ではないと思ったから、LINEに移ることは抵抗なかった。
でも、私からこのシステムに自分のIDを乗せることは、少し不安だった。
ないとは思うけど、このIDだけがひとり歩きしたら?

「IDは、***です。取り扱い、注意してくださいね」
「取扱注意とは?」
「あまりIDのまま伝えることがないので、少し不安になったので」
「それなら、無理してLINEにしなくてもいいですよ」
「でも、もうお教えしてしまいましたし」

ああ、何と噛み合わない会話だろう。
いま文字にしてみても、後悔の嵐に吹き飛ばされそうだ。
そもそも、土曜の仮予約をすっ飛ばされた段階で、終わりにしていればよかった。
イヤな予感や、何だか違うという胸騒ぎは、マッチングアプリを使う中では何より大切にしなくてはならないのだった。
いけない、さくらまりかとしたことが。

しかし、ギクシャクはさらに続いた。
私がLINEアカウントに含まれる本名を名乗ったところで、この事件が起こったというわけだ。

「私は、LINE交換をするときに、本名を名乗ると決めています。
アプリの中、みながみな、あなたのように誠実な人ではないんです。
私は自分の身を守るために必要なことだと思っています」

30分ほど前に飲んだ眠剤が、そろそろ私の脳全体を覆い始めていた。
早く眠ってしまいたい。
でも、この人は苦しんでいる。私が取った行動が原因で。
私は、この人を苦しめたくない。たとえ、自分の心が痛くなったとしても。
だって、それなりに彼に好意を持っているのだから。
私は理由を伝えなくてはならない。
眠いなどと言っている場合ではないのだ。

「ふつう、って難しいですよね。
もしかしたら、トモヒロさんが思うふつうと、私が考えるふつう、思った以上に大きく違っているのかもしれませんね」

そうだ。
人と人とのつながり、一から十まで違いを受け入れることだ。
私のふつうは、あなたの非常識、と言っても過言ではない。
人間、口で何と言おうとも、自分がふつうで、相手が間違っていると考えると私は思う。
だから、外国に行ったり、異国の文化に触れると、カルチャーショックを起こすし、もっと身近なところで、違う地方に育ったり、家庭環境が違ったりするだけでも、心がアレルギー反応を起こすこともある。

私は、ソーシャルワーカーという仕事上、自分自身が偏見に満ち溢れた人間だということを忘れないよう、つねに自分に言い聞かせているつもりだ。
偏見がない人などいないし、自分が間違っていると積極的に認めたい人だっていないと思う。
でも、あなたと私のふつうが違うことで、私が責められる筋合いはないし、私が謝る道理もない。
それはただ、違うというだけだ。


トモヒロさんは、やりとりを始めたら本名を名乗るのが、ふつう。
まりかは、会ってLINE交換のときに伝えるのが、ふつう。


ふたつの「ふつう」は、どちらか一方が正しいわけでも、間違っているわけでもないのではないか。
トモヒロさんは本名云々に憤っているのではなくて、彼にとっての「ふつう」を私がしなかったことに対して、憤っているのだ。
そして私は、私の「ふつう」が彼の気分を害してしまったことに、傷ついている。


私は、トモヒロさんを辛い目にあわせてしまった。
私も、トモヒロさんのことばで痛みを感じてしまった。

ねえ、教えて。
ねえ、助けて。
まりか、辛いんだよ。痛いんだよ。


「みんなはどのタイミングで本名を名乗っている?」

身の置き場がなくなって、アプリ仲間のLINEに助けを求めた。

「私は名前はただの記号だと思っているから、本格的につき合う話が出るまでは、明かさないかな。
会って次もアリだなと思ったら、本名の一部を含むLINEを教えて、さらっとファーストネームだけ伝えてる」

と、ミドリちゃん。
すると、ハナちゃんからも少し遅れてメッセージが送られてきた。

「えー、私は違うと思う。
会う前に本名を教えてくれないお相手は、信用しにくいなあと思う。
ドタキャンしても後腐れなさそうって思われているみたいで、イヤだなって思っちゃう」

なるほど、自分の本名を明かすかどうかはもちろん、相手の名前を知りたいというのも、自分の身を守る手段だ。
ハナちゃんは続ける。

「でも、まりか姉さんはそうではなかったんですよね」

そう。彼と私は違う。
そして、彼も私もそれを受け入れようとするほど、相手を慮ってはいなかった。
それだけだ。

ミドリちゃんが言った。

「めっちゃ頼りない人ですけれども、それでも放って置けないまりか姉さん、かわいいです」


あんなに畳みかけるようにメッセージを送ってきたトモヒロさんのアイコンは、それきり通知画面に表示されなくなった。



さようなら、やんちゃな瞳のトモヒロさん。
さようなら、私の理想の君。


*2023年5月16日の活動状況
・もらった足あと:5人
・もらったいいね:4人
・送ったいいね:1人
・やりとりした人:1人
どうしたんだか、朝からじゃんじゃか足あとがついて、いいねがついた。
調子に乗って、自分からいいねも送ってみたが、反応なし。
日曜にお顔合わせを調整していた人からは、来週以降でと連絡があった。
きっとほかに優先する人がいたんだわ。

サポートしてくださった軍資金は、マッチングアプリ仲間の取材費、恋活のための遠征費、および恋活の武装費に使わせていただきます。 50歳、バツ2のまりかの恋、応援どうぞよろしくお願いいたします。