「ごめんなさい、これから、はないです」阿部寛も吉田鋼太郎も好きだけれども

「まりかさん、本当にネコがお好きなんですね」
「はい、ネコのいない人生は考えられないです」
「私も実家にネコがたくさんいるので、話が合いますね」


デートセッティングアプリで10日後に会う予定のスピカさんとのやりとり画面を見て、まりかはため息をついた。
ネコ好きだから話が合う?
冗談じゃない。
ネコが好きな人が話が合うなら、地球上の3割くらいの人とは話が合うだろうし、それは「日本語を話すから話が通じますね」と同じくらい、乱暴ではないか。
同じ言語を話したって、話が通じない人には通じないのだから。
まりかは、デートがセッティングされてから少しやり取りをと言われて、何気なくはいと答えたことを、心から後悔した。

さらに、スピカさんからの一問一答メッセージは続いた。


「まりかさん、灯台がお好きということは、海や景色をながめることが好きなんですか」
「はい、海は好きです」
「よかった!
私も海をぼーっとながめるのが好きだから、一緒にドライブにゆけますね」


いえ、会ったこともない人とドライブにゆくつもりはございません。
あなたと灯台に登りたいのではなくて、まりかはまりかと灯台に登りたいの。わかる?

いっそ予約をキャンセルしてしまおうか、とも思った。
キャンセル料消費税込みで3,300円也。
不愉快な殿方とおいしくないお酒を飲むなら、授業料としては高くないと思うこともできる。

でも、例によってまりかは好奇心に負けた。
この48歳婚歴なしは、はたしてどんな殿方なのか。
何より、彼の「似ている有名人」は、阿部寛ではないか。
まりかは、やはり阿部寛に設定していたコウイチを思った。
180cm以上あって、体育会系とサーフィンで鍛え抜かれた立ち姿は、本当に美しかった。
そうだ、阿部寛を設定するなら、少なくとも背は高いはずだ。
会うだけでも会ってみようではないか。


こうして、土曜の午後、35℃近い炎天下をまりかは待ち合わせ場所へと向かったのである。
まりかは、まちあわせには早めに着きたい方だ。
アプリのお顔合わせは、時間が許せば1時間くらい早めに着いて、待ち合わせのお店を確認したあと、カフェで呼吸を整え、お化粧を直す。
そして、お店には10分よりは早くなく、5分前よりは早く着くようにする。
10分前くらいに来るであろう殿方に、気を遣わせたくないからだ。
まりかはこの日も、16時すぎに駅の改札をくぐり、下見をしてからタリーズでコーヒーを飲み、口紅を塗り直して16時53分ころお店に着いた。


ところが、スピカさんはまだ来ていないではないか。
このタイミングでまだ現れていない殿方は、30人近くお会いした中でもいなかったぞ。
メニューを見ながら、iPhoneを手に取る。
17時ちょうど。
アプリを開くが、メッセージは来ていない。

最低。
気が短いと言われそうだが、まりかは時間を守れない殿方は、浮気と同じくらい許せない。
だって、どちらもまりかの時間を奪うでしょ?


17時10分、視界のすみを黄色い物体が遮った。
店員さんが案内するこの部屋には、まりか以外のお客はいない。
そこにいたのは、どぎつい黄色のバスキアのTシャツを着た、小柄な男性だった。
ぽやぽやと後退したヘアスタイルと細い目は、吉田鋼太郎のアクをとったような感じだ。
薄い唇が辛うじて、阿部寛を想起させた。
バスキアのTシャツにたたみじわがくっきりついているところを見ると、おろしたてなのだろう。
初対面の女性に会う席に、履き古しのジーンズはがっかりだが、襟はなくとも新品のシャツであることがせめてもの救いだった。


「遅くなりました。
飲み放題にしてありますが、何を飲みますか?」


それだけスピカさんは言って、メニューを繰り出した。
ねえ、はじめましてで10分も遅れて、ごめんなさいのひとこともないの?
道に迷ったとか、バスが遅れたとか、言い訳のひとつもしなさいよ。
まりかは必死に口角を上げて、ビールにしますとだけ答えた。


「スピカって、お星さまですよね。お好きなんですか?」
「いや、適当につけただけです。
たまたま読んでいた漫画の主人公からとったというか」


阿部ちゃんのように背は高くなくても、知的な会話は楽しめるかも、というまりかの期待は、3分で崩れ去った。
スピカとは、乙女座の一等星だ。
まりかと同じ乙女座なのだろうか、星好きなのだろうか、などと想像しなければよかった。
そしてここで、彼の背格好がまりかの最初の夫と似ていることに気がついてしまった。
ああ、もう嫌悪感以外は何もない。


「母親がネコが好きなんですよ。
いまも5匹くらい、野良猫にエサをやっているような感じなんですけどね。
家に上げると、壁をボロボロにされるし、毛がつくからイヤだって言って」


それって、ご近所の迷惑になっていないのだろうか、と、のどまで出かかって、あわててことばを引っ込める。
まりかよ、長くてもあと1時間35分でお開きにできるのよ、ことを荒立てるのはやめなさい。
まりかは、目線をぬるくなったビールに目を落としたまま、もう一度、口角を引き上げた。


「まりかさんも海が好きでうれしいな。
なかよくなったら、ドライブとか行きたいですね。
まりかさん、お酒が好きなら私が運転しますよ。
あっ、泊まりなら私も飲みますけど」


泊まり、ですって?
まりかは、あなたとなかよくなるつもりすらないのよ。
あなたが勝手に、少ない情報からまりかを組み立てただけじゃない。
48歳、婚歴なし。
彼は女性とやりとりするたびに、勘違いぶりを披露してきたのだろうか。


スピカさんは、まるで幼児向けのパズルを組み立てているようだった。
自分が聞きたいことだけを浅い一問一答に込めて聞き出して、解像度の低い、大きなピースをはめているようだった。

ネコ好きで海が好き=気が合う=なかよくなる=お泊まり

この殿方は、どこからそんな頓珍漢な公式を思いついたのだろうか。


まりかは、おぼろげなジグゾーパズルを探るように、殿方を知ってゆきたい。
これまでのこと、いまのことを、ウィットに富んだことばで描ける殿方と会いたい。
まりかは、一問一答でイエスノーだけのクローズドクエスチョンではなく、じっくりことばを選びながら一緒に会話を組み立てるオープンクエスチョンがほしいのだ。
残念ながら、スピカさんには気の利いた問いも、自分の世界を伝えることばももち合わせていないようだ。


あと15分で19時となったとき、まりかは化粧室へ立った。
戻ったらLINEの交換を求められるだろうけど、断ろう、と思った。
返事をする気もないのだから、きっぱり断ろう、と思った。


「LINE、交換しましょうか。
少しずつやりとりから、なかよくなりましょう」


と、スピカさんはスマホを差し出した。
この殿方には、ひとこと交換してよろしいかとたずねるデリカシーもないのだ。
仕方がない、いったん交換してから断ろう。


レジにゆくと、4,500円のコースを頼んでいることがわかった。
まりかは3,000円というところだろうか。

「私の分はどうしましょうか」
「3,000円いただけますか」


この日、スピカさんが及第点を取ったのは、このときだけだった。
遅刻して謝らず、理由も言わず、えんえんと一問一答を繰り返す殿方。
運悪く、一駅一緒に乗らなくてはならないことがわかった。


「連絡しますから。これからよろしくお願いします」
「今日はありがとうございました」


何度めかわからない口角をきゅっと上げ、前日にまつエクをほどこした目元を少しゆるめた。
5cmヒールのまりかの方が、明らかに背が高かった。
これかよろしくと言ったわりには、電車の発車を待たず、スピカさんはすたすたホームを歩いて行ってしまった。
こういうちょっとしたことが、女性の心を遠ざけるのよ。


乗り換え駅で、LINEに着信があった。
なかよくなる気などないから、このままブロックしてしまおうか。
そう思ううちに、アプリにも着信通知があった。
待ち合わせに遅れるくせに、連絡は早いらしい。


「今日はありがとうございました。
楽しい時間をすごせて、うれしいです。
これから少しずつやりとりを続けて、なかよくなりましょう」


まりかは驚いた。
あれだけ必死にまりかが口角を引き上げていたことに、目の前にいたこの殿方はまったく気づかなかったのだ。
あんなに不機嫌そうにしていたのに?
これは、はっきりお断りしなくてはなるまい。


「こちらこそ、ありがとうございました。
ごめんなさい、これから、はないです。
スピカさんによいご縁があることをお祈りします」
「それでは仕方がないですね。
まりかさんによいご縁がありますように」



夜中、アプリから評価の催促メールがあった。
マイナス評価はできないから、すべて該当なしで返した。
まりかへの評価を開いてみると、「落ち着いている」の項目がひとつ増えていた。

塩対応=落ち着いている

そんな公式もあったようだ。
まりかはこの日、何度目かわからないため息を横隔膜深くから搾り出した。

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