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自然と共に在る生活を。

コロナで世界がストップした頃から、私は自分でも驚くほど、望むことが変わってしまいました。

わたしの仕事はイベントコーディネーターで、ひとのお役に立てられるようなイベントを開催したりするのが活動内容だったんですが、当然、人が集合するスタイルは取れなくなり、仕事はストップしました。イベント自体はzoomで出来なくもないですが、それもひっくるめて、これから私はどうしたいか?から果てはどう生きたいだろう?ということを、この数か月、スローな世界のなかでゆっくりと考えていたんですよね。

そうしながら、せっかく時間もたっぷりあるし、ちょうどうまい具合に知人のつてでちいさな畑をお借りすることも出来たので、ゆっくり、畑あそびを始めました。正直言えば、最初の動機は「スーパーから野菜が無くなっても多少野菜が取れると助かる」のような思いだったんです。

でも、かわいいんですよね、野菜たち。種を蒔いただけなのにあっと言う間に大きくなって、わたしが何もしなくても勝手に育ってくれて、もうすでに春菊なんかは何度も収穫しました。間引きしたやつも当然食べれますから、それも含めて何度食べたやら。やわらかくって美味しいし、春菊って強烈な香りがあるけっこうクセの強いイメージがあるとおもうんだけど、畑の春菊はとってもナチュラルな甘く優しい香りなんですよね。もしかしてスーパーに出す用の春菊って、わざと香りを際立たせた品種に育てられたのかも?なんて思うぐらい、香り野菜を好まない息子でさえ、ぱくぱく食べます。

こんなふうに種を蒔いただけのわたしに新鮮な糧を分けてくれる春菊なんかを食しはじめて気づいたのですが、なんだかわたし…心も身体も変わってきた気がするんです。すごく清々しいんですよね、心も身体も。この自分で在ることが心地よくって。爽快なんですよ。

大地や植物からの自然エネルギー。これが私に作用してるんじゃないかしら、と思うんです。
摘みたての春菊を食す、自然に生えている植物を自然から分けてもらって食す、これぞ生命の営み、だった、っていうのを思い出したのかも知れない。
土の香りを嗅いだり、植物が育つのをみてただけだけど、そのほんのひとときでさえ、身体が自然体にもどっていったような気がするんですよね。
太陽を浴び、青空の下で、鳥のさえずりが聞こえている、虫がいる、そんななかでお野菜たちを眺めてる。。これが至福で。。全身が歓喜してるんです。

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(この写真はイメージ。畑とはぜんぜん違う場所です)

こうなると、わたしはもう自分にウソがつけなくて、自然と共に生きたくて仕方がなくなってしまった。これまでの、なんちゃって畑のある生活、じゃなくって、植物や自然と共に在りたい、いま身の回りにあるものすべて、自然から分けてもらったもので生きてみたい、っていう、野生が目覚めた感じで(笑)どうしようもないんですよ(笑)
ここ最近は、目に入るいわゆる雑草が「食べられるかもしれない」とか思って興味わくし(笑)きのうなぞは、家の狭い坪庭に強引に生えててどうしようかと思ってた桐の葉っぱを何かに使えないだろうか?と、ひとまず食器を洗うのに使ってみようと摘んでみたら、桐の葉っぱってうぶげがたくさん生えてて、それがもう~すんごくやわらかぁくって手触りが気持ちよくって、食器を洗うなぞに使えなくって、トイレ後のおしりを拭くのに使ってみたい、なんて思った(笑)

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まさか自分でもそんなふうになるとまでは想像もしていなかったんですが、その日、必要な分だけを自然から分けてもらって生きる、って、最高じゃないかって思うんですよ。
それだけじゃなく、循環が出来るところがいい。
すでに草で食器を洗ってるかたの話をきいていると、洗剤で洗うよりも綺麗になるし、排水汚さないし、草の香りが気持ちいいし、食器を洗い終えてしなしなになった草は、そのままコンポストにすると肥料になって自然に還るし、という、最高の循環になってる!
こういうのがやりたいんですよね。

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