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「つまらなかったら、それは映画が悪いだろ」

これは、私が大好きな漫画『クズの本懐』のセリフです。
女の子が好きな男の子とのデートの中で映画を観にいき、「せっかく誘ったのにつまらなかったら申し訳ない」といったことを言った時に、男の子が「なんで?」と、「つまらなかったら、それは映画が悪いだろ」というセリフです。

私はこのシーンに出会った時、本当に本当に衝撃を受けました。「つまらない映画に誘った自分が悪い」という思考回路が当たり前だったからです。

「この場が盛り上がらないのは自分のせいだ」とか、
「この企画が上手く進まないのは、自分がやりきれてないからだ」とか、
「せっかく来てくれたのに好きなタイプの作品じゃなかったら申し訳ない」とか。
よく思ってしまう人っていると思うんです。少なくとも私はそうです。

いわゆる「他責思考」の真逆。悪く言えば「自意識過剰」、よく言えば「オーナーシップを強く持つ」とか、「何でも自分ごと化する」と言うのでしょうか。「全部自分自身の課題、責任だ」と捉えてしまうことですね。
そんな人が、少しでも楽になったら良いなぁ、と思って書いています。

「全部自分のせいだ」と思っちゃうのは、楽なんですよね。その解は「自分が頑張れば良い」なので。けど、一見楽に見えるそのやり方をたくさんたくさん続けていると、だんだん「自分がやらなければならない」ことで覆われてるんですよね。
そんな時こそ、「助けて!」と言いたいんですけど、そこまで「自分だけ」で頑張って来たからこそ、どうやって助けを求めたら良いのかなんて全くもってわかりません。
がんじがらめになって、体調を崩して初めて状況が好転する、なんてことも。

でもその時にはもう、きっとあなたは心も体もボロボロで、「こんなこと二度とやらない」と、自分が始めたことなのにすごく悲観的な決意を固めてしまうかもしれません。
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では、どうすればいいのでしょうか?

正直言って「コレ!」みたいな回答はないと思います。というか、用意しない方が良いです。あなたはその都度、考えて行かなければならないと思うので。むしろ、「あなたの存在はそんなに大きくないよ」なんて、きっと何度も出会って来た言葉。わかってはいても実感することは難しいですよね。

だから私から言えるのは、「変に考えすぎず、あなたのやりたいことを追求したら良いと思う」ということです。
みんなを楽しませたいならとにかくそれをすれば良い。何でも役に立ちたいなら、役に立ちそうなことは徹底的にやれば良い。絶対に素敵な映画に誘いたいなら、まずは先にそれを観れば良い。

何度かボロボロになった経験があると変に構えて、得意でもない「要領よくやる」「適当にやる」をやろうとするのですが、そんな自分に全く肌馴染みのないことは、なかなか上手くいきません。

「そんなのは結局独りよがり。周りが迷惑」
そうかもしれません。
けれど例えば、みんなでご飯を食べに来た時。あなたが楽しませようとたくさん発言したとします。かなり面倒くさいと、「自分がたくさん喋ったせいで周りがあまり喋れなかったのでは…」と思ってしまうかもしれません。
確かに、あなたが発言したことによって誰かができなかった発言はあるでしょう。けれど同時に、あなたがした発言によって触発されて、生まれた発言がきっとあるはずなんです。

できない「上手くやる」よりも、できる「徹底的にやる」で、良いと思います。そうした時に、あなたの能力は十二分に発揮されて、自分の頑張りによって目の前は少し変化してくるはずです。あなたも生きやすくなるかもしれません。
「熱い人は苦手」という人もいるでしょう。そう動いたことで、離れてしまう人もいるかもしれません。しかし、それはあなたがあなたらしく生きた時、一緒にいることが初めから難しい人だったのだと、私は思います。
それは仕方がないことだとして、どうしても一緒にいたい人ならば、その人にだけは特別に接すれば良いと思います。

そうやって、自分にできることを最大限、徹底的に行うことで、きっとあなたは初めて、「これは私が悪いな」「これは私だけのせいじゃないな」の区別がついてくると思います。

そしてきっと、「つまらなかったら、それは映画も悪い」と思えるはず。

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