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フォローしてもらってうれしかった話と翻訳出版界の謎について。

長く遠ざかっていたNoteから新しいフォローのお知らせが届いた。

投稿どころか開いてさえいなかったのに。きっと指が滑ったとかなのだろう。。だって私の閲覧状況はコレ↓である。


でも指が滑っただけでもナンカの間違いでも、やっぱりうれしい。
それはフォローしてくれた人のお名前を見てさらに増した。
さる有名出版社に関係のある方らしかったからだ。

知識のない私にはすぐにピンとこなかったが、その由緒ありげな書体と〇〇書房の名にひかれて検索してみて、驚いた。

Wikipediaによると「風と共に去りぬ」の翻訳出版を手掛けたところという。

こんな由緒ある出版社にかかわる人からフォローしてもらえるなんて、何の間違いであったとしても、間違いに気づかすそのままにしておいてほしいと祈るばかりだ。

「風と共に去りぬ」は小学生ころからの愛読書で、今に至るまで手元にある。かつては赤紫の布張りに金文字の豪華な装丁だったが今は見る影もなくなっているのは歳月と、所有者の保管方法の悪さによる(お風呂で読んだりしていた)

かつて主流の二段にギッシリ入れた文章は、もうほとんど見かけなくなってしまった。



そもそもは母が自分の実家から持ってきた文学全集だった。母が本を読んでいる姿は記憶にないから、当時の風潮としてインテリア目的に祖父母が購入したものを、これまた殺風景だった家の埋めクサとして母が持ち込んだものらしい。本を気軽に買うほどのお小遣いがなかった私が手に取るのは必然の流れだった。

あまり賢い小学生ではなかったため、こうした本を普通に読むのは難しく、大抵は最初をぱらぱらとめくって本棚に戻したが、「風と共に去りぬ」は別だった。というのもストーリーにお構いなく、ところどころわかりやすそうなところをつまみ読みしたからだ。園遊会を前にアレコレとドレス選びに迷う場面や美味しそうな食事のシーンや男友達との機知に富んだ会話など、九州の田舎で育つ小学生を夢見させるには十分すぎるものだった。すべてを読み切ったのは中学校に入ったころだった。

タイミングよくリバイバルで映画館に出ていたのを、母に頼んで一緒に見に行ったのは中学一年生のころだった。何年も繰り返し読み、大久保康雄氏による名訳文がしみ込んでいたため、映画での字幕に驚いた。昭和初期の巨匠小津映画的「御冗談をおっしゃっては困りますわ」的言い回しが、このハリウッド映画の字幕では「冗談言わないで」風に、かなりカジュアルになっているのだ。字幕では字数に制限があるせいかもしれないが違和感はぬぐえなかった。

同じストーリーでも文章で全然違うものになる、という大発見を経て、映画よりも読書を好むようになった。訳文のため、普通の日本語の文章には出てこない言葉や言い回しがよく出てくる。いったいもとはどういう言葉だったんだろうと、高校性の時5000円以上もかけて原書を本屋に注文したこともある(今見たら、アマゾンで100円だった。。)これを日本語版の時と同じく繰り返し読みまくっていれば(買ったときはそのつもりだった)今頃大久保康雄氏になっていたかもしれないが、単語が難しすぎ、文章が難しすぎ、得意のツマミ読み方式を発動して、ついには会話部分だけを読んだりしたが、数カ月もしないうちに本棚の飾りとなって今に至る。

そして今ふと巻末を見ると

あれ?河出書房新社??

書房は書房でも、フォローしてくれたM書房ではない。。。

WikiによればM書房が「風と共に去りぬ」を翻訳出版したとあるのに。

M書房が初刊したのは1939年
河出書房は昭和39年、つまり1964年

訳者は同じ大久保氏、ということはM書房がマクミラン社から版権を購入し大久保氏の翻訳をへて出版にこぎつけたこの大作を、河出書房が25年後にまんまパクった・・・?しかもたった2年で11版も重ねる大儲けをしている。

それだけではない。
「風と共に去りぬ・出版社・日本」で検索すると、新潮社が出てくる。

いや、それどころか

これは一体。

翻訳出版の常識を全く知らない私には謎過ぎる。

マクミラン社は、この山ほどの日本の出版社に版権を売りまくりぼろ儲けをしたのだろうか?

そしてまた大久保氏は大切な翻訳データがあちこちに出回っていたのを、なすすべもなく見守るしかなかったのだろうか?

かの小室哲哉氏は同じ楽曲のナンカの権利を複数社へ売ったとして詐欺罪に問われたような記憶があるが、それとこれとは同じではないの・・?

この辺にナレッジのある方、ご教示いただけますと幸いです。



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