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意外と優しいニューヨーカー

私を救ってくれたキャンディー

私は週に数回マンハッタンまで通勤している。今日はサンクスギビングの休暇明け、久しぶりの出社。この休暇では本当はカナダ・モントリオールまで旅行を予定していたのに、その前の週末~時間差で風邪を引いてしまった私と娘はほぼ1週間近くを休養に充てるはめになっていた。体調自体はバッチリ休養をとっていたのでほぼ回復していたが、時々癖のように咳が出ることがあった。今朝はあろうことか、あと10分ちょっとでグランド・セントラル駅へ着くというタイミングで、小さな咳が止まらなくなってしまった・・・。

座席は2人掛けの窓際。席を立って隅っこに行くことも考えたがう、既に両サイドの出口付近には複数の人が立っていて、そんな中で「ゴホゴホ」咳き込める雰囲気でもなかった。私は慌ててマスクをして(今は私の乗車するメトロノース鉄道内のマスク率は20%程度?私も普段はしていない)、背を窓際に向けて控えめに咳をしたが、完全には止まらない・・・。

私の隣にはやはりノーマスクの上品なご婦人が座っていたのだが、1分弱?経過した頃、彼女は膝に置いたリュックのチャックを開けた。「ああ、マスクを出すのかな?」と思っていたら、彼女のリュックから出てきたのはキャンディー(のど飴系)。一つ取り出して、「要りますか?」と私に差し出してくれた。とても有難かった。そして・・・救われた。それから降車するまでの数分間、咳は完全には引かなかったが、スーッとするのど飴を味わいながら、私は心は温かいもので満たされていた。

アメリカには、こんな時サラッとこういう行動ができる人が多い気がする。彼女の立場であれば、席を立ったり、マスクをしたり、という反応もできたはずだが、私を信用して?そのままでいてくれた。そして、咳止めのお守りまで・・・。私もこういうことができる「大人」でありたい。自分以外の人のために何かができる人でありたい。もしもの時のキャンディー、マスク、テイッシュ、ハンカチ、バンドエイド?自分が持っていると役立つものって何だろう?そう考えると結構楽しい。

牛乳はスチームで

お次は私が通勤前にいつも立ち寄るカフェでの話。1年数ヵ月前から通うマディソン通りに面したこのカフェはマンハッタンには珍しい広々とした座席とゆったり感が魅力のお店。そして、いつも明るくて、私のコーヒーに入れるミルクをサービスでスチームしてくれるイタリア系のおばちゃんがいた。ところが数ヵ月前のある日、いつものようにカフェに行くと、「私は今日が最後なの。明日からこの近くの〇〇大学クラブ(大学の同窓会が経営するハイソなクラブ)で働くことになったのよ!」と教えてくれた。栄転だ。そのお店で一番のベテランだった彼女は残りのメンバーに「いい?彼女のミルクはスチームするのを忘れないで!」と「引継ぎ」までしてくれた。

太陽のような笑顔を振りまく彼女が辞めてしまった後、正直この店に行くモチベーションは30%くらい下がってしまったのだけれど、私は相変わらず通い続けている。ただ、正直、私は残りの店員さん達にそんなに期待はしていなかった。いつも朝、ミルク入りのコーヒーだけを買って15分ほどで帰っていく私を皆がどのくらい認識しているかはわからなかったし、ミルクも、もともとそれは彼女が「サービス」でやってくれていたことだから、本当に「引継ぎ」がされるかどうか、彼女がいなくなったらどうなるかわからないな、と思っていた(本当にミルクをスチームして欲しかったら、本来「カフェラテ」を頼むべきなのだ)。

ところがその期待は見事に裏切られた。彼女の一番の僕?だった黒人の彼は会えばニコッと手を振って挨拶をする仲になったし、忙しくてもミルクは欠かさずスチームしてくれる。もう一人の彼女も、スチームは面倒臭いのか2回に1回くらいになることはあるけれど、何とかやってくれている。そして、嬉しいことに今朝はおばちゃんの退職後に入った女の子がサーブしてくれたコーヒーのミルクが泡立っていた!こうして「スチームリレー」が脈々と受け継がれていることに小さな感動を覚えた。

ニューヨーカーって、世の中的にも、アメリカの中でも、「いつも急いでいて、イライラしていて冷たい人種」というステレオタイプのイメージがあるが、このように意外と親切だったり、律儀な人もいる。これは東京でも同じだけれど。滞在中、あとどれくらい多くの人と心の通った交流ができるのか、私が与えてあげられるものはないか、考えてみたい。まずはカバンの片隅のキャンディから、かな?


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