『議論における”常識”の効用!?』
<はじめに>
何かと、
”常識”を打ち出すことで、
他者非難や攻撃をするタイプの人がいます。
この記事では、以下の3点について考察しています。円滑な社会生活にお役立てください。
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1⃣なぜ、常識を持ち出すか!?
2⃣『常識』を持ち出すのは、どういう人か!?
3⃣常識を持ち出されたときに警戒すべきこと
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1⃣なぜ、常識を持ち出すか!?
その最大の効用はというに、
圧倒的多数の味方がえられるから、
これに、他なりません。つまり、説得力が常識の中にはあるということです。
なぜなら、常識というものは、
<大多数の人が作ることで”常識”となりえる>からです。
ここで、留意していただきたいのが、逆ではないということです。
大多数の人が支持するからこそ、常識となりえるのです。
常識が変わらぬ普遍性なるものをもって、字義通り
”常に”
存在しているから常識になるのではありません。
常識そのものに、普遍性なるものはありません。
常識とは、
昔ならたったの10年、
変化が加速している今なら、
5~7年もあれば変わりゆくものです。
例えをひとつあげましょう。
わたくしの母親の子育ては、かなりの放任でした。
しかし当時はみながみな、
つまり常識として、
今に比べてずっと放任主義だったようです。
(中でも放任主義ではありましたが。)
母は、近所の子育てままさんがたと自宅でおはなしをし、
そして、
夕方になると、赤ちゃんや子供たちを家において、
みんなで近所にお買い物に行っていたといいます。
今なら考えられないようなことですが、
当時はそれが”常識”だったのです。
子育てを経験した方ならご存じのところの絵本に、
■『はじめてのおつかい』(1977年初版)
■『あさえとちいさいいもうと』(1979年初版)
などの名作を読み聞かせた方もいらっしゃるかと思います
『はじめてのおつかい』は、5歳の女の子が赤ちゃんのお世話に忙しいままに、はじめておつかいを頼まれるという筋となっています。
5歳の女の子にひとりでおつかいにいくことを頼むことは、今では”常識”から外れている、非常識だと考えられるでしょう。
『あさえとちいさいいもうと』も小さな女の子が家で留守をしている、という設定ですがこれも現代ではひどい親だと、指をさされそうな”常識”があります。
最近のところでは、『ちょっとだけ』というとても心温まる絵本があります。小さな赤ちゃんのお世話にいそがしい母親とおねえちゃんのおはなしです。おねえちゃんであるなっちゃんは、ひとりでお外にでて公園に遊びに行くシーンがありますが、これは今ではすでに非”常識”の分類に入るかと思います。
■『ちょっとだけ』(2005年月刊誌にて公開)
しかし、常識は、
議論において、しばしば持ち出されます。
その効用は、
圧倒的多数の支持を得られるという一点の力がとても大きいからにほかならないのではないでしょうか。
”常”
という言葉の力がわたしたちの校則として働いている側面も大きいいかと思います。
さて次に、
2⃣『常識』を持ち出すのは、どういう人か!?
親なら、だれでも一度や2度は口にするかと思いますw
「なんや、みんなっておちか!?」
はい、たいていの人が常識というものにアンテナを張っているかと思います。
たいていの人が社会生活のルールとしてアンテナをはるからこそ、
”常識”
たりえるのですから、当然といったら当然です。
・「公共の面前でいきなりシャウトしたら常識としておかしい。」
・「みんながおはなししているときに、ちがうことをしていたら、常識はずれだぞ。」
・「コロナだから、マスクをするのは常識だよ。」
どれも説得力がありますね?だって、常識ですからw
ただし、
常識の力を自己の主張するところの説得力をますために、
持ち出す人はだれに対しても(ご両親に対しても)警戒が必要です。
3⃣常識を持ち出されたときに警戒すべきこと
警戒すべき理由はたくさんありますが、2つ挙げられればと思います。
<1>そのいち
なぜならば、
強力な説得力を背景に、
・よくよく考えたら根拠が脆弱なことの影響力を増加させる目的や、
・相手を操作支配するための目的で
使われることがあるからです。
”いじめ”など気に入らない相手を排斥する目的で行われることもありますね。今までの常識から外れた挑戦をしようとするたびに、”常識”を持ち出し、足を引っ張ってくる人であることもありますね。
<2>その2
世の中の革新的なアイデアや進化は、
『常識をやぶることからはじまる』
からです。
常識を行動や思考の規範としたとき、
すでに、有象無象の中に埋没していることにほかならないのです。
「コロナだから、マスクは常識でしょう?」
はい、もちろんそのとおりです。ならば、
「常識をやぶることって?」
はい、それは、
「マスクをしなくても感染しなくてもいい方法ってあるのかな。」
などと、考えていくことではないでしょうか?
常識に従っていれば、たしかに安寧に暮らせたかもしれません。それはそれでひとつの選択でもあります。
しかし、見通す目を開いてみてはいかがでしょうか?
今作られている常識は、過去のだれかが作ったもの?
アインシュタインは、こういいました。
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」
本日は、雨にて静かなる一日でしょうか?
それとも内なる命の躍動が目覚める日でしょうか?
よき日でありますように!
目を通していただきありがとうございました。
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