太陽と炭酸
炭酸には太陽がよく似合う。
ジリジリと燃えるような暑さの中、よく冷やされて汗をかくグラス、ペッドボトル、缶、瓶。
しっとりとした水気と、ひんやりとした冷たさを手のひらに感じながらゴクリと鳴らす喉元。
ギラギラとした熱い日差しの中飲む炭酸のパチパチと弾ける爽快さはくぅーと思わず笑顔で言いたくなる。
私は小さい頃から炭酸が大好きで、おやつのジュースは炭酸と炭酸じゃないのがあったら炭酸の方をいつも選んでいた。
お出かけの時も、いつも一緒だった。
シュワシュワと口の中で鳴る音、喉に当たるパチパチとした刺激。
甘くて刺激的で、ちょっと大人な気分で炭酸を飲んでいた幼稚園時代。
シュワシュワが苦手でまだ飲めない子もいる中、得意げに飲んでいたことを思い出す。
当時幼稚園生の私と妹は、小学生の姉が帰ってくる時間、お姉ちゃんを迎えにいくねと母に言い、山の上の住宅街から坂道をずっと下り山の中腹まで姉を迎えに行ったことがあった。
あの時車を洗っていた母は幼稚園児の私たちがそんなに遠くまで行けるなんて思っておらず、曲がり角まで迎えにいくだけだと思っていたようだった。
下からランドセルを背負った小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんが坂を登ってくる。その顔を眺め、この人はお姉ちゃんじゃないなと確認しながら下まで妹と手を繋ぎ降りていた。
すると下から「なんでおると!?」と姉の声が聞こえた。私と妹に駆け寄ってくる姉に「なんでこんなところまで来たん?」と言われながら、「迎えに来た」などと返事をし、姉の友人たちと手を繋ぎ、来た道を歩いて登った。
その時、姉の友人が校則違反の買い食いをして、自販機で買った炭酸ジュースを持っていた。
自動販売機の存在は知っているけれど、手が届かないので、あそこは大人が買う場所だと思っていた。
姉たちがとても大人に見えた瞬間だった。
姉の友人はとても美味しそうに炭酸を飲みながら一歩一歩上り坂を登った。
姉たちと家に帰ると、心配していた母に「どこ行っとったん!?そこまでよって言ったでしょ?」と叱られながら、私はあっけらかんとして「自動販売機って子どもでも買えると?」などと母に聞いた。
「買えるよ」
と言われ、
「買いたい!」
と言ったら、
「じゃあお姉ちゃんと買っておいで」
と500円玉をくれた。
実家には道路をまっすぐ行って、5メートルほどの短い坂を下った徒歩5分の位置に自動販売機がある。
3人で自動販売機まで行き、姉がお金を入れ、私を抱っこして一番下の列のジュースを買った。姉は妹も抱っこしてジュースを買わせた。
そして、背伸びして自分も一つジュースを買うと、3人で家まで帰った。
私と妹が炭酸の小さな缶ボトルに入ったジュースで姉はりんごジュースとかだったと思う。私は普通に歩いていたけれど、妹は走って家まで駆けて行った。
姉はそれを追いかけて、妹の名前を叫びながら「待って!」と追いかけているのをのんびり歩いて帰りながら見ていた。
家に帰って、お釣りを母に渡してそれぞれのジュースを開ける。
その時、事件は起こった。
私が普通に開けて飲み、舌鼓を打っている瞬間横にいた妹がボンッと大きな音を立てて爆発した。
溢れたジュースにより服と手がジュースまみれになり呆然としている妹。
大きな音に驚き、呆然とする3人。
母が飛んできて、「どうしたんね!」と私たちに聞いた。
妹が泣き出し、私と姉はさらに呆然。
こっちこそ、何があったか知りたい。
すると状況を見て、「これ振った?」と母がほぼ空になった妹のジュースの缶を持って妹に聞いた。
妹は泣いていて答えられない。
姉が「走った」と答え、母は状況を理解し、「振ったら爆発するんよ」と言い、風呂を沸かした。
私たちは妹と一緒に早めの風呂に入れられ、髪の毛や体を洗われながらお風呂の中で私は「振ったら爆発するんよ」と言った母の言葉を反芻していた。
爆発の意味が、当時はよく分からず、爆発物のダイナマイトのようなイメージだった。
頭から煙を立ち上らせ、火が出て、顔が煤だらけになってケホケホ言っているBOOM!と効果音のついたような、カートゥーンアニメのイメージ。
炭酸とはなんて恐ろしいものなんだと思っていた。
この体験の衝撃が強くて、この時のことはよく覚えている。
もう少し大きくなった時、子ども番組の中で行われた実験とかで炭酸の仕組みを見て爆発ってそういうことかと理解した。
あの時の呆然とした妹の顔が今でも鮮明に思い出されて忘れられない。
妹はすっかり忘れていて、姉もぼんやりとあったっけ?くらいの思い出のようだけれど、私には今思い出しても笑えるくらい強い印象の思い出になっている。
他にも、小学校の運動会ではいつもクーラーボックスにミニの缶の炭酸が入れられていて、お昼のお弁当の時間に飲み干すのがたまらなく幸せだったことも覚えている。
おばあちゃんもおじいちゃんも、お父さんもお母さんも、妹もお姉ちゃんもみんなこのジュースを飲んでいた。
お父さんが持つと小さく見える缶を妹が持つとちょうど良いサイズに見えたりして、面白かった。
おじいちゃんの家の仏壇には小さな缶ビールが備えてあり、お盆にお墓に行くとそこにも小さな缶ビールが備えてあったりした。
生者も死者も皆、炭酸が好きなのだと思ったものだ。
高校の自販機でもよく炭酸を買った。体育の後に飲む炭酸は最高だった。
大学生になると飲みにいくことも増えたけれど、体質的にお酒が合わず、もっぱら汗をかいたグラスに注がれた炭酸ジュースを飲んでいた。
炭酸はいつも記憶の中で私に寄り添ってくれている。思い出す場面場面に、必ずそっといるのだ。
映画だったらエンドロールで炭酸って出てくるくらい、私の記憶の中に炭酸は常にいてくれている。
社会人になった今でも、もちろん炭酸をよく飲んでいる。
私はもう大人になったので、缶のジュースを箱買いし、冷蔵庫にちまちま保存して風呂上がりにプシュと開けて飲んでいる。
たまに遠くから花火の上がる音が聞こえると、高台にある家の窓からは遠くに花火がちょうど見える。
風呂上がりの夜風にあたりながら、花火を見つつ、缶ジュースを飲み、感慨に耽っている今日この頃である。
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