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「とにかくやってみろ」という自己啓発的マインドを、スーパーのパイナップルから教えてもらった話

「ハードルが高そうな挑戦も、やってみると案外できるもの。思い切ってやってみましょう!」

自己啓発系の本とか、意識高い系の記事とか、結果を出してる人の発信とかで、よく見る言葉。

これ見たらどう思う?

「確かにそうかも〜!挑戦してみよ!」ってなる?

私は、ならない。

こんなポジティブな言葉を見たとて、

「こちとらどんだけ怖がりか知っとんかっちゅーねん」
「挑戦ってそんな簡単にできるもんちゃうねん」
「案外できるって何を根拠に言うとんねん」

って心の中で、関西弁丸出しの繊細ヤンキーがオラつく始末。

だからこういう「あなたにもできますよ!」系の言葉を見ても「ふーん」ってなるだけで響かない。へんくつでごめん。

でもこの間、「やっぱ挑戦って大事だよなあ」と思えたキッカケがあった。

それは、スーパーに売ってるパイナップルだった。

みなさんご存じパイナップル

…スーパーのパイナップル??

そう、あの、トゲトゲの皮に包まれた、南国のフルーツのパイナップル。

いやこの間ね、近所のスーパー行ったら、ふわーんとあまーい香りが鼻先をくすぐったの。

パッと目を落とすと、「台湾パイナップル」の文字。山盛り積んであって、なんとも美味しそうな甘くて芳しい香り。お値段500円。立派なサイズにしては、安い。

これがそのパイナップル

直感的に「食べたい!」って思ったものの、

「いやでも…パイナップルってどうやって食べるんだっけ?買ったことないし切り方も知らんし、カットパインか缶詰めのものか、はたまた外食でしか食べたことないなあ…」

とひるむこと数秒。

見た目もなんかトゲトゲして痛そうだし、食べるまで面倒くさそう。買ってみて切るの難しそうだったらイヤだなあ。

そう思ってその場を去る。

スーパーの店内をグルグルしてお会計の直前、さっきのパイナップルの横を通ると、またあの甘い香りがしてきて。

「…えーい買ってみよう!切り方は多分YouTubeにある!今日は時間もあるし!」

と手に取る。見た目よりトゲトゲが鋭利で手のひらに刺さって痛い。そしてずっしり重い。

お会計でピッとパイナップルがレジを通るのを見ながら「やっぱやめればよかったかなあ」なんて思いながら、持って帰った。

自宅に戻ってきて、早速YouTubeで「パイナップル 切り方」で検索するとすぐヒットした。なんて便利な世の中なんだ。

5分程度の切り方動画を見てみる。「さぞ複雑な切り方なんだろうな」と思ってたら、そんなことはなかった。切り方はほぼメロンのそれと同じ。え、マジで?そんな感じでいいの?と拍子抜け。

(ちなみに見た動画はこれ↑)

トゲに気をつけつつ頭とお尻を包丁で落として半分に切る。それらをさらに半分。そしてまた半分。すると8等分になる。細長いボートのような形になったら、それらの身と皮の間に包丁を差し込んで皮を剥く。実だけになったら、ひと口大にカットする。

やってみると、ビックリするぐらい簡単だった。別に料理うまくなくてもできるやん、ってぐらいの作業。

かくして私は、パイナップルにありつけることになった。

食べると甘い実と汁がジュワッと口いっぱいに広がって、「めちゃくちゃ美味しいやーん!」ってちょっと感動モノだった。当たり前だけど、スーパーですでに切って売ってある「カットパイン」と美味しさが段違い。

その後も、スーパーでパイナップルを見かけて食べたいと思うたびに、カットパインで誤魔化すのではなく、「食べたいけどやめとこう」って諦めるのでもなく、パイナップルを丸ごと買って楽しめるようになった。

たった一回の「やってみよう」をやってみただけで、大げさかもしれないけど、「美味しいパイナップルを食べたいときに食べられない人生」から「食べたいときに食べられる人生」に変わったんだなあ、と。

ここで冒頭の話に戻る。

「ハードル高そうな挑戦も、やってみると案外できるものです。思い切ってやってみましょう!」

そんなことを言葉で言われてもピンとこない。でもパイナップルを買って食べるという経験をすると「なるほどこういうことか」って、身を持って体感できたな、と。

パイナップルは見た目がトゲトゲゴツゴツしている。だから「なんか食べるまでが難しそう、ハードル高そう」って脳内で勝手にイメージしてしまう。

でもそれは単なる思い込みで、やってみたら拍子抜けするぐらい簡単だったりする。

難しそう、ハードルが高そう、なんていうのは思い込み。

でもこの思い込みを取っ払うには、「やってみる」一択なんだよね。

パイナップルを買ってみる。YouTubeを見て切り方を調べてみる。実際に手を動かしてみる。食べて「美味しい!できた!」をちゃんと身体で感じる。そこで初めて思い込みが取っ払われる。

なんかこれって、人生の挑戦と同じだなあ、ってしみじみ感じた。

自己啓発本じゃなく、インフルエンサーの発言でもなく、偉人の格言でもなく、スーパーのパイナップルが教えてくれた。

トゲトゲの見た目に怯んでたら、甘い果実にはたどり着けない。だから「やってみる」一択。

ただ人生においてはパイナップルほど単純じゃない。

トゲトゲの中身が酸っぱかったり苦かったり固かったりまずかったりすることもある。

それでも買って切って食べてみないと、何もわからない。

私の過去の経験を振り返ってみてもそうだ。例えば私は2018年からSNSで発信活動をはじめて、2020年から複業に挑戦している。

このことについては「挑戦してみたら意外と簡単でした☆やってみたらできちゃったテヘ☆」みたいなことにはならなかった。

いきなり甘い果実にはたどり着けなくて、「酸っぱー!」「苦い!」ってなることもたくさんあった。

でもそれらの経験をくつがえすぐらいの、甘い実を頬張る経験もあったりして。

それらは全部「やってみよう」と行動して初めて経験できたこと。

そしてやってみたからこそ、人生に選択肢が少しずつ増えていった。

「SNSで発信してみる」「オンラインサロンに入会してみる」「文章を書いてみる」「オフ会に参加してみる」「複業に挑戦してみる」…

どれも、今まで自分の人生に、まったくなかったこと。

色んなことをやってみたことで、わたしの人生に「ない」から「ある」になったことがたくさんある。

スーパーのパイナップルだって、トゲトゲに怯みつつも、買って切って食べて、初めて「私の生活にパイナップルがある」状態になった。

この間までは、スーパーに行ってもパイナップルなんて目に入ってなかった。「やってみる」の選択肢がないものについては、人は「ないもの」とみなすようになる。目には映ってるはずなのに、目に入ってないという状態。

でも今は目に入る。「自分で切って食べることができた」という経験から、パイナップルを買う(=食べる)という選択肢が増えて、視界に入ってくるようになった。

私は臆病だから「そもそもそんなん無理やし~」と、選択肢にすら挙がってこない挑戦がたくさんある。

パイナップル美味しそう、食べたいなぁ…と見つめてるときはまだいい。そのうち、どうせ食べれないしと、パイナップルの存在自体、目に入らなくなる。

挑戦するのが怖いとグズグズするよりも、スルーしすぎて、その挑戦自体、忘れて無かったことになることが、目に入らなくなることが、とても怖い。

さっきからパイナップルパイナップルって言ってるけど、人生にパイナップルは必須じゃない。別に食べなくても死なない。ただのフルーツだからね。

でも人生を左右するかもしれない「ハードル高そうな挑戦だなあ…怖いなあ…」が来たとき。

そんなときはこのパイナップルのことを思い出そうと思う。

「あのパイナップルだって、買って切って食べたから、美味しいってわかったんだもんなあ」って。

どうせなら人生、甘い果実を頬張って「は〜美味しい」って言いたいよねえ。

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